中国で進む海中データセンター実証実験 ― 冷却効率と環境リスクのはざまで

世界的にデータセンターの電力消費量が急増しています。AIの学習処理やクラウドサービスの普及によってサーバーは高密度化し、その冷却に必要なエネルギーは年々増大しています。特に近年では、生成AIや大規模言語モデルの普及により、GPUクラスタを用いた高出力計算が一般化し、従来のデータセンターの冷却能力では追いつかない状況になりつつあります。

中国も例外ではありません。国内ではAI産業を国家戦略の柱と位置づけ、都市ごとにAI特区を設けるなど、膨大なデータ計算基盤を整備しています。その一方で、石炭火力への依存度が依然として高く、再生可能エネルギーの供給網は地域ごとに偏りがあります。加えて、北京や上海などの都市部では土地価格と電力コストが上昇しており、従来型のデータセンターを都市近郊に増設することは難しくなっています。

また、国家として「カーボンピークアウト(2030年)」「カーボンニュートラル(2060年)」を掲げていることもあり、電力効率の悪い施設は社会的にも批判の対象となっています。

こうした背景のもと、中国は冷却効率の抜本的な改善を目的として、海洋を活用したデータセンターの実証実験に踏み切りました。海中にサーバーポッドを沈め、自然の冷却力で電力消費を抑える構想は、環境対策とインフラ整備の両立を狙ったものです。

この試みは、Microsoftがかつて行った「Project Natick」から着想を得たとされ、中国版の海中データセンターとして注目を集めています。国家的なエネルギー転換の圧力と、AIインフラの急拡大という二つの要請が交差したところに、このプロジェクトの背景があります。

海中データセンターとは

海中データセンターとは、サーバーやストレージ機器を収容した密閉型の容器(ポッド)を海中に沈め、周囲の海水を自然の冷媒として活用するデータセンターのことです。

地上のデータセンターが空気や冷却水を使って熱を逃がすのに対し、海中型は海水そのものが巨大なヒートシンクとして働くため、冷却効率が飛躍的に高まります。特に深度30〜100メートル程度の海水は温度が安定しており、外気温の変化や季節に左右されにくいという利点があります。

中国でこの構想を推進しているのは、電子機器メーカーのハイランダー(Highlander Digital Technology)などの企業です。

同社は2024年以降、上海沖や海南島周辺で複数の実験モジュールを設置しており、将来的には数百台規模のサーバーモジュールを連結した商用海中データセンター群の建設を目指していると報じられています。これらのポッドは円筒状で、内部は乾燥した窒素などで満たされ、空気循環の代わりに液冷・伝導冷却が採用されています。冷却後の熱は外殻を通じて海水へ放出され、ファンやチラーの稼働を最小限に抑える仕組みです。

この方式により、冷却電力を従来比で最大90%削減できるとされ、エネルギー効率を示す指標であるPUE(Power Usage Effectiveness)も大幅に改善できると見込まれています。

また、騒音が発生せず、陸上の景観や土地利用にも影響を与えないという副次的な利点もあります。

他国・企業での類似事例

Microsoft「Project Natick」(米国)

海中データセンターという概念を実用段階まで検証した最初の大規模プロジェクトは、米Microsoftが2015年から2020年にかけて実施した「Project Natick(プロジェクト・ナティック)」です。

スコットランド沖のオークニー諸島近海で実験が行われ、12ラック・約864台のサーバーを収めた長さ12メートルの金属ポッドを水深35メートルに沈め、2年間にわたり稼働実験が行われました。この実験では、海中環境の安定した温度と低酸素環境がハードウェアの故障率を地上の1/8にまで低減させたと報告されています。また、メンテナンスが不要な完全密閉運用が成立することも確認され、短期的な成果としては極めて成功した例といえます。

ただし、商用化には至らず、Microsoft自身もその後は地上型・液冷型の方に研究重点を移しており、現時点では技術的概念実証(PoC)止まりです。

日本国内での動向

日本でもいくつかの大学・企業が海洋資源活用や温排水利用の観点から同様の研究を進めています。特に九州大学やNTTグループでは、海洋温度差発電海水熱交換技術を応用した省エネルギーデータセンターの可能性を検討しています。

ただし、海中に沈設する実証実験レベルのものはまだ行われておらず、法制度面の整備(海洋利用権、環境影響評価)が課題となっています。

北欧・ノルウェーでの試み

冷却エネルギーの削減という目的では、ノルウェーのGreen Mountain社などが北海の海水を直接冷却に利用する「シーウォーター・クーリング方式」を実用化しています。

これは海中設置ではなく陸上型施設ですが、冷却水を海から直接引き込み、排水を温度管理して戻す構造です。PUEは1.1以下と極めて高効率で、「海の冷却力を利用する」という発想自体は世界的に広がりつつあることがわかります。

中国がこの方式に注目する理由

中国は、地上のデータセンターでは電力・土地・環境規制の制約が強まっている一方で、沿岸部に広大な海域を有しています。

政府が推進する「新型インフラ建設(新基建)」政策の中でも、データセンターのエネルギー転換は重点項目のひとつに挙げられています。

海中設置であれば、

  • 冷却コストを劇的に減らせる
  • 都市部の電力負荷を軽減できる
  • 再生可能エネルギー(洋上風力)との併用が可能 といった利点を得られるため、国家戦略と整合性があるのです。

そのため、この技術は単なる実験的挑戦ではなく、エネルギー・環境・データ政策の交差点として位置づけられています。中国政府が海洋工学とITインフラを融合させようとする動きの象徴ともいえるでしょう。

消費電力削減の仕組み

データセンターにおける電力消費の中で、最も大きな割合を占めるのが「冷却」です。

一般的な地上型データセンターでは、サーバー機器の消費電力のほぼ同等量が冷却設備に使われるといわれており、総電力量の30〜40%前後が空調・冷却に費やされています。この冷却負荷をどれだけ減らせるかが、エネルギー効率の改善と運用コスト削減の鍵となります。海中データセンターは、この冷却部分を自然環境そのものに委ねることで、人工的な冷却装置を最小限に抑えようとする構想です。

冷却においてエネルギーを使うのは、主に「熱を空気や水に移す工程」と「その熱を外部へ放出する工程」です。海中では、周囲の水温が一定かつ低く、さらに水の比熱と熱伝導率が空気よりもはるかに高いため、熱の移動が極めて効率的に行われます。

1. 海水の熱伝導を利用した自然冷却

空気の熱伝導率がおよそ0.025 W/m·Kであるのに対し、海水は約0.6 W/m·Kとおよそ20倍以上の伝熱性能を持っています。そのため、サーバーの発熱を外部へ逃がす際に、空気よりも格段に少ない温度差で効率的な放熱が可能です。

また、深度30〜100メートルの海域は、外気温や日射の影響を受けにくく、年間を通じてほぼ一定の温度を保っています。

この安定した熱環境こそが、冷却制御をシンプルにし、ファンやチラーをほとんど稼働させずに済む理由です。海中データセンターの内部では、サーバーラックから発生する熱を液体冷媒または伝熱プレートを介して外殻部に伝え、外殻が直接海水と接触することで熱を放出します。これにより、冷媒を循環させるポンプや冷却塔の負荷が極めて小さくなります。

結果として、従来の地上型と比べて冷却に必要な電力量を最大で90%削減できると試算されています。

2. PUEの改善と運用コストへの影響

データセンターのエネルギー効率を示す指標として「PUE(Power Usage Effectiveness)」があります。

これは、

PUE = データセンター全体の電力消費量 ÷ IT機器(サーバー等)の電力消費量

で定義され、値が1.0に近いほど効率が高いことを意味します。

一般的な地上型データセンターでは1.4〜1.7程度が標準値ですが、海中データセンターでは1.1前後にまで改善できる可能性があるとされています。

この差は、単なる数値上の効率だけでなく、経済的にも大きな意味を持ちます。冷却機器の稼働が少なければ、設備の維持費・点検費・更新費も削減できます。

また、空調のための空間が不要になることで、サーバー密度を高められるため、同じ筐体容積でより多くの計算処理を行うことができます。

その結果、単位面積あたりの計算効率(computational density)も向上します。

3. 熱の再利用と環境への応用

さらに注目されているのが、海中で発生する「廃熱」の再利用です。

一部の研究機関では、海中ポッドの外殻で温められた海水を、養殖場や海藻栽培の加温に利用する構想も検討されています。北欧ではすでに陸上データセンターの排熱を都市暖房に転用する例がありますが、海中型の場合も地域の海洋産業との共生が模索されています。

ただし、廃熱量の制御や生態系への影響については、今後の実証が必要です。

4. 再生可能エネルギーとの統合

海中データセンターの構想は、エネルギー自給型の閉じたインフラとして設計される傾向があります。

多くの試験事例では、海上または沿岸部に設置した洋上風力発電潮流発電と連携し、データセンターへの給電を行う計画が検討されています。海底ケーブルを通じて給電・通信を行う仕組みは、既存の海底通信ケーブル網と技術的に親和性が高く、設計上も現実的です。再生可能エネルギーとの統合によって、発電から冷却までをすべて自然エネルギーで賄える可能性があり、実質的なカーボンニュートラル・データセンターの実現に近づくと期待されています。

中国がこの方式を国家レベルの実証にまで進めた背景には、単なる冷却効率の追求だけでなく、エネルギー自立と環境対応を同時に進める狙いがあります。

5. 冷却に伴う課題と限界

一方で、海中冷却にはいくつかの技術的な限界も存在します。

まず、熱交換効率が高い反面、放熱量の制御が難しく、局所的な海水温上昇を招くリスクがあります。また、長期間の運用では外殻に生物が付着して熱伝導を妨げる「バイオファウリング」が起こるため、定期的な清掃や薬剤処理が必要になります。これらは冷却効率の低下や外殻腐食につながり、長期安定運用を阻害する要因となります。そのため、現在の海中データセンターはあくまで「冷却効率の実証」と「構造耐久性の検証」が主目的であり、商用化にはなお課題が多いのが実情です。

しかし、もしこれらの問題が克服されれば、従来型データセンターの構造を根本から変える革新的な技術となる可能性があります。

技術的なリスク

海中データセンターは、冷却効率やエネルギー利用の面で非常に魅力的な構想ではありますが、同時に多層的な技術リスクを抱えています。特に「長期間にわたって無人で安定稼働させる」という要件は、既存の陸上データセンターとは根本的に異なる技術課題を伴います。ここでは、主なリスク要因をいくつかの視点から整理します。

1. 腐食と耐久性の問題

最も深刻なリスクの一つが、海水による腐食です。海水は塩化物イオンを多く含むため、金属の酸化を急速に進行させます。

特に、鉄系やアルミ系の素材では孔食(ピッティングコロージョン)やすきま腐食が生じやすく、短期間で構造的な強度が失われる恐れがあります。そのため、外殻には通常、ステンレス鋼(SUS316L)チタン合金、あるいはFRP(繊維強化プラスチック)が使用されます。

また、異なる金属を組み合わせると電位差による電食(ガルバニック腐食)が発生するため、素材選定は非常に慎重を要します。

さらに、電食対策として犠牲陽極(カソード防食)を設けることも一般的ですが、長期間の運用ではこの陽極自体が消耗し、交換が必要になります。

海底での交換作業は容易ではなく、結果的にメンテナンス周期が寿命を左右することになります。

2. シーリングと内部環境制御

海中ポッドは完全密閉構造ですが、長期運用ではシーリング(パッキン)材の劣化も大きな問題です。

圧力差・温度変化・紫外線の影響などにより、ゴムや樹脂製のシールが徐々に硬化・収縮し、微細な水分が内部に侵入する可能性があります。この「マイクロリーク」によって内部の湿度が上昇すると、電子基板の腐食・絶縁破壊・結露といった致命的な障害を引き起こします。

また、内部は気体ではなく乾燥窒素や不活性ガスで満たされていることが多く、万が一漏れが発生するとガス組成が変化して冷却性能や安全性が低下します。

したがって、シーリング劣化の早期検知・圧力変化の監視といった環境モニタリング技術が不可欠です。

3. 外力による構造損傷

海中という環境では、潮流・波浪・圧力変化などの外的要因が常に作用します。

特に、海流による定常的な振動(vortex-induced vibration)や、台風・地震などによる突発的な外力が構造体にストレスを与えます。金属疲労が蓄積すれば、溶接部や接合部に微細な亀裂が生じ、最終的には破損につながる可能性もあります。

また、海底の地形や堆積物の動きによってポッドの傾きや沈下が起こることも想定されます。設置場所が軟弱な海底であれば、スラスト(側圧)や沈降による姿勢変化が通信ケーブルに負荷を与え、断線や信号劣化の原因になるおそれもあります。

4. 生物・環境要因による影響

海中ではバイオファウリング(生物付着)と呼ばれる現象が避けられません。貝、藻、バクテリアなどが外殻表面に付着し、時間の経過とともに層を形成します。

これにより熱伝達効率が低下し、冷却能力が徐々に損なわれます。また、バクテリアによって金属表面に微生物腐食(MIC: Microbiologically Influenced Corrosion)が発生することもあります。

さらに、外殻の振動や電磁放射が一部の海洋生物に影響を与える可能性も指摘されています。特に、音波や電磁場に敏感な魚類・哺乳類への影響は今後の研究課題です。

一方で、海洋生物がケーブルや外殻を物理的に損傷させるリスクも無視できません。過去には海底ケーブルをサメが噛み切る事例も報告されています。

5. 通信・電力ケーブルのリスク

海中データセンターは、電力とデータ通信を海底ケーブルでやり取りします。

しかし、このケーブルは外力や漁業活動によって損傷するリスクが非常に高い部分です。実際、2023年には台湾・紅海・フィリピン周辺で海底ケーブルの断線が相次ぎ、広域通信障害を引き起こしました。多くは底引き網漁船の錨やトロール網による物理的損傷が原因とされています。ケーブルが切断されると、データ通信だけでなく電力供給も途絶します。

特に海中ポッドが複数連結される場合、1系統の断線が全モジュールに波及するリスクがあります。したがって、複数ルートの冗長ケーブルを設けることや、自動フェイルオーバー機構の導入が不可欠です。

6. メンテナンスと復旧の困難さ

最大の課題は、故障発生時の対応の難しさです。

陸上データセンターであれば、障害発生後すぐに技術者が現場で交換作業を行えますが、海中ではそうはいきません。不具合が発生した場合は、まず海上からROV(遠隔操作無人潜水機)を投入して診断し、必要に応じてポッド全体を引き揚げる必要があります。この一連の作業には天候・潮流の影響が大きく、場合によっては数週間の停止を余儀なくされることもあります。

さらに、メンテナンス中の潜水作業には常に人的リスクが伴います。深度が30〜50メートル程度であっても、潮流が速い海域では潜水士の減圧症・機器故障などの事故が起こる可能性があります。

結果として、海中データセンターの運用コストは「冷却コストの削減」と「保守コストの増加」のトレードオフ関係にあるといえます。

7. 冗長性とフェイルセーフ設計の限界

多くの構想では、海中データセンターを無人・遠隔・自律運転とする方針が取られています。

そのため、障害発生時には自動切替や冗長構成によるフェイルオーバーが必須となります。しかし、これらの機構を完全にソフトウェアで実現するには限界があります。たとえば、冷却系や電源系の物理的障害が発生した場合、遠隔制御での回復はほぼ不可能です。

また、長期にわたり閉鎖環境で稼働するため、センサーのキャリブレーションずれ通信遅延による監視精度の低下といった問題も無視できません。

8. 自然災害・地政学的リスク

技術的な問題に加え、自然災害も無視できません。地震や津波が発生した場合、海底構造物は陸上よりも被害の範囲を特定しづらく、復旧も長期化します。

また、南シナ海や台湾海峡といった地政学的に不安定な海域に設置される場合、軍事的緊張・領海侵犯・監視対象化といった政治的リスクも想定されます。特に国際的な海底通信ケーブル網に接続される構造であれば、安全保障上の観点からも注意が必要です。

まとめ ― 技術的完成度はまだ実験段階

これらの要素を総合すると、海中データセンターは現時点で「冷却効率の証明には成功したが、長期安定稼働の実績がない」段階にあります。

腐食・外力・通信・保守など、いずれも地上では経験のない性質のリスクであり、数年単位での実証が不可欠です。言い換えれば、海中データセンターの真価は「どれだけ安全に、どれだけ長く、どれだけ自律的に稼働できるか」で決まるといえます。

この課題を克服できれば、世界のデータセンターの構造を根本から変える可能性を秘めていますが、現段階ではまだ「実験的技術」であるというのが現実的な評価です。

環境・安全保障上の懸念

海中データセンターは、陸上の土地利用や景観への影響を最小限に抑えられるという利点がある一方で、環境影響と地政学的リスクの双方を内包する技術でもあります。

「海を使う」という発想は斬新である反面、そこに人類が踏み込むことの影響範囲は陸上インフラよりも広く、予測が難しいのが実情です。

1. 熱汚染(Thermal Pollution)

最も直接的な環境影響は、冷却後の海水が周囲の水温を上昇させることです。

海中データセンターは冷却効率が高いとはいえ、サーバーから発生する熱エネルギーを最終的には海水に放出します。そのため、長期間稼働すると周辺海域で局所的な温度上昇が起きる可能性があります。

例えば、Microsoftの「Project Natick」では、短期稼働中の周辺温度上昇は数度未満に留まりましたが、より大規模で恒常的な運用を行えば、海洋生態系の構造を変える可能性が否定できません。海中では、わずか1〜2℃の変化でもプランクトンの分布や繁殖速度が変化し、食物連鎖全体に影響することが知られています。特に珊瑚や貝類など、温度変化に敏感な生物群では死亡率の上昇が確認されており、海中データセンターが「人工的な熱源」として作用するリスクは無視できません。

さらに、海流が穏やかな湾内や浅海に設置された場合、熱の滞留によって温水域が形成され、酸素濃度の低下や富栄養化が進行する可能性もあります。

これらの変化は最初は局所的でも、長期的には周囲の海洋環境に累積的な影響を与えかねません。

2. 化学的・物理的汚染のリスク

海中構造物の防食や維持管理には、塗料・コーティング剤・防汚材が使用されます。

これらの一部には有機スズ化合物や銅系化合物など、生態毒性を持つ成分が含まれている場合があります。微量でも長期的に溶出すれば、底生生物やプランクトンへの悪影響が懸念されます。

また、腐食防止のために用いられる犠牲陽極(金属塊)が電解反応で徐々に溶け出すと、金属イオン(アルミニウム・マグネシウム・亜鉛など)が海水中に拡散します。これらは通常の濃度では問題になりませんが、大規模展開時には局地的な化学汚染を引き起こす恐れがあります。

さらに、メンテナンス時に発生する清掃用薬剤・防汚塗料の剥離物が海底に沈降すれば、海洋堆積物の性質を変える可能性もあります。

海中データセンターの「廃棄」フェーズでも、外殻や内部配線材の回収が完全でなければ、マイクロプラスチックや金属粒子の流出が生じる懸念も残ります。

3. 音響・電磁的影響

データセンターでは、冷却系ポンプや電源変換装置、通信モジュールなどが稼働するため、微弱ながらも音響振動(低周波ノイズ)や電磁波(EMI)が発生します。

これらは陸上では問題にならない程度の微小なものですが、海中では音波が長距離を伝わるため、イルカやクジラなど音響に敏感な海洋生物に影響を与える可能性があります。

また、給電・通信を担うケーブルや変圧設備が発する電磁場は、魚類や甲殻類などが持つ磁気感受受容器(magnetoreception)に干渉するおそれがあります。研究段階ではまだ明確な結論は出ていませんが、電磁ノイズによる回遊ルートの変化が観測された事例も存在します。

4. 環境影響評価(EIA)の難しさ

陸上のデータセンターでは、建設前に環境影響評価(EIA: Environmental Impact Assessment)が義務づけられていますが、海中構造物については多くの国で法的枠組みが未整備です。

海域の利用権や排熱・排水の規制は、主に港湾法や漁業法の範囲で定められているため、データセンターのような「電子インフラ構造物」を直接想定していません。特に中国の場合、環境影響評価の制度は整備されつつあるものの、海洋構造物の持続的な熱・化学的影響を評価する指標体系はまだ十分ではありません。

海洋科学的なデータ(潮流・海水温・酸素濃度・生態系モデル)とITインフラ工学の間には、依然として学際的なギャップが存在しています。

5. 領海・排他的経済水域(EEZ)の問題

安全保障の観点から見ると、ポッドが設置される位置とその管理責任が最も重要な論点です。

海中データセンターは原則として自国の領海またはEEZ内に設置されますが、海流や地震による地形変化で位置が移動する可能性があります。万が一ポッドが流出して他国の水域に侵入した場合、それが「商用施設」なのか「国家インフラ」なのかの区別がつかず、国際法上の解釈が曖昧になります。国連海洋法条約(UNCLOS)では、人工島や構造物の設置は許可制ですが、「データセンター」という新しいカテゴリは明示的に規定されていません。そのため、国家間でトラブルが発生した場合、法的な解決手段が確立していないという問題があります。

また、軍事的観点から見れば、海底に高度な情報通信装置が設置されること自体が、潜在的なスパイ活動や監視インフラと誤解される可能性もあります。特に南シナ海や台湾海峡といった地政学的に緊張の高い海域に設置される場合、周辺国との摩擦を生む要因となりかねません。

6. 災害・事故時の国際的対応

地震・津波・台風などの自然災害で海中データセンターが破損した場合、その影響は単一国の問題に留まりません。

漏電・油漏れ・ケーブル断線などが広域の通信インフラに波及する恐れがあり、国際通信網の安全性に影響を及ぼす可能性もあります。現行の国際枠組みでは、事故発生時の責任分担や回収義務を定めたルールが存在しません。

また、仮に沈没や破損が発生した場合、残骸が水産業・航路・海洋調査など他の産業活動に干渉することもあり得ます。

こうした事故リスクに対して、保険制度・国際的な事故報告基準の整備が今後の課題となります。

7. 情報安全保障上の懸念

もう一つの側面として、物理的なアクセス制御とサイバーセキュリティの問題があります。

海中データセンターは遠隔制御で運用されるため、制御系ネットワークが外部から攻撃されれば、電力制御・冷却制御・通信遮断などがすべて同時に起こる危険があります。

また、物理的な監視が困難なため、破壊工作や盗聴などを早期に検知することが難しく、陸上型よりも検知遅延リスクが高いと考えられます。特に国家主導で展開される海中データセンターは、外国政府や企業にとっては「潜在的な通信インフラのブラックボックス」と映りかねず、外交上の摩擦要因にもなり得ます。

したがって、国際的な透明性と情報共有の枠組みを設けることが、安全保障リスクを最小化する鍵となります。

まとめ ― 革新とリスクの境界線

海中データセンターは、エネルギー効率や持続可能性の面で新しい可能性を示す一方、環境と国際秩序という二つの領域にまたがる技術でもあります。

そのため、「どの国の海で」「どのような法制度のもとで」「どの程度の環境影響を許容して」運用するのかという問題は、単なる技術論を超えた社会的・政治的テーマです。冷却効率という数値だけを見れば理想的に思えるこの構想も、実際には海洋生態系の複雑さや国際法の曖昧さと向き合う必要があります。

技術的成果と環境的・地政学的リスクの両立をどう図るかが、海中データセンターが真に「持続可能な技術」となれるかを左右する分岐点といえるでしょう。

有人作業と安全性

海中データセンターという構想は、一般の人々にとって非常に未来的に映ります。

海底でサーバーが稼働し、遠隔で管理されるという発想はSF映画のようであり、「もし内部で作業中に事故が起きたら」といった想像を掻き立てるかもしれません。

しかし実際には、海中データセンターの設計思想は完全無人運用(unmanned operation)を前提としており、人が内部に入って作業することは構造的に不可能です。

1. 完全密閉構造と無人設計

海中データセンターのポッドは、内部に人が立ち入るための空間やライフサポート装置を持っていません。

内部は乾燥窒素や不活性ガスで満たされ、外部との気圧差が大きいため、人間が直接侵入すれば圧壊や酸欠の危険があります。したがって、設置後の運用は完全に遠隔制御で行われ、サーバーの状態監視・電力制御・温度管理などはすべて自動システムに委ねられています。Microsoftの「Project Natick」でも、設置後の2年間、一度も人が内部に入らずに稼働を続けたという記録が残っています。

この事例が示すように、海中データセンターは「人が行けない場所に置く」ことで、逆に信頼性と保全性を高めるという逆説的な設計思想に基づいています。

2. 人が関与するのは「設置」と「引き揚げ」だけ

人間が実際に作業に関わるのは、基本的に設置時と引き揚げ時に限られます。

設置時にはクレーン付きの作業船を用い、ポッドを慎重に吊り下げて所定の位置に沈めます。この際、潜水士が補助的にケーブルの位置確認や固定作業を行う場合もありますが、内部に入ることはありません。引き揚げの際も同様に、潜水士やROV(遠隔操作無人潜水機)がケーブルの取り外しや浮上補助を行います。これらの作業は、浅海域(深度30〜50メートル程度)で行われることが多く、技術的には通常の海洋工事の範囲内です。ただし、海況が悪い場合や潮流が速い場合には危険が伴い、作業中止の判断が求められます。

また、潮流や気象条件によっては作業スケジュールが数日単位で遅延することもあります。

3. 潜水士の安全管理とリスク

設置や撤去時に潜水士が関与する場合、最も注意すべきは減圧症(潜水病)です。

浅海とはいえ、長時間作業を続ければ血中窒素が飽和し、急浮上時に気泡が生じて体内を損傷する可能性があります。このため、作業チームは一般に「交代制」「安全停止」「水面支援(surface supply)」などの手順を厳守します。

また、作業員が巻き込まれるおそれがあるのは、クレーン吊り下げ時や海底アンカー固定時です。数トン単位のポッドが動くため、わずかな揺れやケーブルの張力変化が致命的な事故につながることがあります。

海洋工事分野では、これらのリスクを想定した作業計画書(Dive Safety Plan)の作成が義務づけられており、中国や日本でもISO規格や国家基準(GB/T)に基づく安全管理が求められます。

4. ROV(遠隔操作無人潜水機)の活用

近年では、潜水士に代わってROV(Remotely Operated Vehicle)が作業を行うケースが増えています。

ROVは深度100メートル前後まで潜行でき、カメラとロボットアームを備えており、配線確認・ケーブル接続・表面検査などを高精度に実施できます。これにより、人的リスクをほぼ排除しながらメンテナンスや異常検知が可能になりました。特にハイランダー社の海中データセンター計画では、ROVを使った自動点検システムの導入が検討されています。AI画像解析を用いてポッド外殻の腐食や付着物を検知し、必要に応じて自動洗浄を行うという構想も報じられています。

こうした技術が進めば、完全無人運用の実現性はさらに高まるでしょう。

5. 緊急時対応の難しさ

一方で、海中という環境特性上、緊急時の即応性は非常に低いという課題があります。

もし電源系統や冷却系統で深刻な故障が発生した場合、陸上からの再起動やリセットでは対応できないことがあります。その際にはポッド全体を引き揚げる必要がありますが、海況が悪ければ作業が数日間遅れることもあります。

また、災害時には潜水やROV作業自体が不可能となるため、異常を検知しても即時対応ができないという構造的な制約を抱えています。仮に沈没や転倒が発生した場合、内部データは暗号化されているとはいえ、装置回収が遅れれば情報資産の喪失につながる可能性もあります。

そのため、設計段階から自動シャットダウン機構沈没時のデータ消去機能が組み込まれるケースもあります。

6. 安全規制と法的責任

海中での作業や構造物設置に関しては、各国の労働安全法・港湾法・海洋開発法などが適用されます。

しかし「データセンター」という業種自体が新しいため、法制度が十分に整備されていません。事故が起きた際に「海洋工事事故」として扱うのか、「情報インフラの障害」として扱うのかで、責任主体と補償範囲が変わる点も指摘されています。

また、無人運用を前提とした設備では、保守委託業者・船舶運用会社・通信事業者など複数の関係者が関与するため、事故時の責任分担が不明確になりやすいという問題もあります。特に国際的なプロジェクトでは、どの国の安全基準を採用するかが議論の対象になります。

7. フィクションとの対比 ― 現実の「安全のための無人化」

映画やドラマでは、海底施設に閉じ込められる研究者や作業員といった描写がしばしば登場します。しかし、現実の海中データセンターは「人を入れないことこそ安全である」という発想から設計されています。内部には通路も空間もなく、照明すら設けられていません。内部アクセスができないかわりに、外部の監視・制御・診断を極限まで自動化する方向で技術が発展しています。

したがって、「人が閉じ込められる」という映画的なシナリオは、技術的にも法的にも発生し得ません。むしろ、有人作業を伴うのは設置・撤去時の一時的な海洋作業に限られており、その安全確保こそが実際の運用上の最大の関心事です。

8. まとめ ― 安全性は「無人化」と「遠隔化」に依存

海中データセンターの安全性は、人が入ることを避けることで成立しています。

それは、潜水士を危険な環境に晒さず、メンテナンスを遠隔・自動化によって行うという方向性です。

一方で、完全無人化によって「緊急時の即応性」や「保守の柔軟性」が犠牲になるというトレードオフもあります。今後この分野が本格的に商用化されるためには、人が直接介入しなくても安全を維持できる監視・診断システムの確立が不可欠です。

無人化は安全性を高める手段であると同時に、最も難しい技術課題でもあります。海中データセンターの未来は、「人が行かなくても安全を確保できるか」という一点にかかっているといえるでしょう。

おわりに

海中データセンターは、冷却効率と電力削減という明確な目的のもとに生まれた技術ですが、その意義は単なる省エネの枠を超えています。

データ処理量が爆発的に増える時代において、電力や水資源の制約をどう乗り越えるかは、各国共通の課題となっています。そうした中で、中国が海洋という「未利用の空間」に活路を見いだしたことは、技術的にも戦略的にもきわめて示唆的です。

この構想は、AIやクラウド産業を国家の成長戦略と位置づける中国にとって、インフラの自立とエネルギー効率の両立を目指す試みです。国内の大規模AIモデル開発、クラウドプラットフォーム運営、5G/6Gインフラの拡張といった分野では、膨大な計算資源と電力が不可欠です。

その一方で、環境負荷の高い石炭火力への依存を減らすという政策目標もあり、「海を冷却装置として利用する」という発想は、その二律背反を埋める象徴的な解決策といえるでしょう。

技術革新としての意義

海中データセンターの研究は、冷却効率だけでなく、封止技術・耐腐食設計・自動診断システム・ROV運用といった複数の分野を横断する総合的な技術開発を促しています。

特に、長期間の密閉運用を前提とする点は、宇宙ステーションや極地観測基地などの閉鎖環境工学とも共通しており、今後は完全自律型インフラ(autonomous infrastructure)の実証フィールドとしても注目されています。「人が入らずに保守できるデータセンター」という概念は、陸上施設の無人化やAIによる自己診断技術にも波及するでしょう。

未解決の課題

一方で、現時点の技術的成熟度はまだ「実験段階」にあります。

腐食・バイオファウリング・ケーブル損傷・海流による振動など、陸上では想定しづらいリスクが多く存在します。また、障害発生時の復旧には天候や潮流の影響を受けやすく、運用コストの面でも依然として不確実な要素が残ります。冷却のために得た効率が、保守や回収で相殺されるという懸念も無視できません。

この技術が商用化に至るには、長期安定稼働の実績と、トータルコストの実証が不可欠です。

環境倫理と社会的受容

環境面の課題も避けて通れません。

熱汚染や化学汚染の懸念、電磁波や音響の影響、そして生態系の変化――

これらは数値上の効率だけでは測れない倫理的な問題を内包しています。技術が進歩すればするほど、その「副作用」も複雑化するのが現実です。データセンターが人間社会の神経系として機能するなら、その「血液」としての電力をどこで、どのように供給するのかという問いは、もはや技術者だけの問題ではありません。

また、国際的な法制度や環境影響評価の整備も急務です。海洋という公共空間における技術利用には、国際的な合意と透明性が欠かせません。もし各国が独自に海中インフラを設置し始めれば、資源開発と同様の競争や摩擦が生じる可能性もあります。

この点で、海中データセンターは「次世代インフラ」であると同時に、「新しい国際秩序の試金石」となる存在でもあります。

人と技術の関係性

興味深いのは、このプロジェクトが「人が立ち入らない場所で技術を完結させる」ことを目的としている点です。

安全性を確保するために人の介入を排除し、遠隔制御と自動運用で完結させる構想は、一見すると冷たい機械文明の象徴にも見えます。しかし、見方を変えればそれは、人間を危険から遠ざけ、より安全で持続的な社会を築くための一歩でもあります。

無人化とは「人を排除すること」ではなく、「人を守るために距離を取る技術」でもあるのです。

今後の展望

今後、海中データセンターの実用化が進めば、冷却問題の解決だけでなく、新たな海洋産業の創出につながる可能性があります。

海洋再生エネルギーとの統合、養殖業や温排水利用との共生、さらには災害時のバックアップ拠点としての活用など、応用の幅は広がっています。また、深海観測・通信インフラとの融合によって、地球規模での気候データ収集や地震観測への転用も考えられます。

このように、海中データセンターは単なる情報処理施設ではなく、地球環境と情報社会を結ぶインターフェースとなる可能性を秘めています。

結び

海中データセンターは、現代社会が抱える「デジタルと環境のジレンマ」を象徴する技術です。

それは冷却効率を追い求める挑戦であると同時に、自然との共生を模索する実験でもあります。海の静寂の中に置かれたサーバーポッドは、単なる機械の集合ではなく、人間の知恵と限界の両方を映す鏡と言えるでしょう。この試みが成功するかどうかは、技術そのものよりも、その技術を「どのように扱い」「どのように社会に組み込むか」という姿勢にかかっています。海を新たなデータの居場所とする挑戦は、私たちがこれからの技術と環境の関係をどう設計していくかを問う、時代的な問いでもあります。

海中データセンターが未来の主流になるか、それとも一過性の試みで終わるか――

その答えは、技術だけでなく、社会の成熟に委ねられています。

参考文献

カーボンニュートラル時代のインフラ──日本のグリーンデータセンター市場と世界の規制動向

生成AIやクラウドサービスの急速な普及により、データセンターの存在感は社会インフラそのものといえるほどに高まっています。私たちが日常的に利用するSNS、動画配信、ECサイト、そして企業の基幹システムや行政サービスまで、その多くがデータセンターを基盤として稼働しています。今やデータセンターは「目に見えない電力消費の巨人」とも呼ばれ、電力網や環境への影響が世界的な課題となっています。

特に近年は生成AIの学習や推論処理が膨大な電力を必要とすることから、データセンターの電力需要は一段と増加。国際エネルギー機関(IEA)の試算では、2030年には世界の電力消費の10%近くをデータセンターが占める可能性があるとも言われています。単にサーバを増設するだけでは、環境負荷が増大し、カーボンニュートラルの目標とも逆行しかねません。

このような背景から、「省エネ」「再生可能エネルギーの活用」「効率的な冷却技術」などを組み合わせ、環境負荷を抑えながらデジタル社会を支える仕組みとして注目されているのが グリーンデータセンター です。IMARCグループの最新レポートによると、日本のグリーンデータセンター市場は2024年に約 55.9億ドル、2033年には 233.5億ドル に達する見込みで、2025~2033年の年平均成長率は 17.21% と高水準の成長が予測されています。

本記事では、まず日本における政策や事業者の取り組みを整理し、その後に世界の潮流を振り返りながら、今後の展望について考察します。

グリーンデータセンターとは?

グリーンデータセンターとは、エネルギー効率を最大化しつつ、環境への影響を最小限に抑えた設計・運用を行うデータセンターの総称です。

近年では「持続可能なデータセンター」「低炭素型データセンター」といった表現も使われますが、いずれも共通しているのは「データ処理能力の拡大と環境負荷低減を両立させる」という目的です。

なぜ必要なのか

従来型のデータセンターは、サーバーの電力消費に加えて空調・冷却設備に大量のエネルギーを要するため、膨大なCO₂排出の原因となってきました。さらにAIやIoTの普及により処理能力の需要が爆発的に増加しており、「電力効率の低いデータセンター=社会的なリスク」として扱われつつあります。

そのため、電力効率を示す PUE(Power Usage Effectiveness) や、再生可能エネルギー比率が「グリーン度合い」を測る主要な指標として用いられるようになりました。理想的なPUEは1.0(IT機器以外でエネルギーを消費しない状態)ですが、現実的には 1.2〜1.4 が高効率とされ、日本国内でも「PUE 1.4以下」を目標水準に掲げる動きが一般的です。

代表的な技術・取り組み

グリーンデータセンターを実現するためには、複数のアプローチが組み合わされます。

  • 効率的冷却:外気を利用した空調、地下水や海水を使った冷却、さらに最近注目される液体冷却(Direct Liquid Cooling/浸漬冷却など)。
  • 再生可能エネルギーの利用:太陽光・風力・水力を組み合わせ、可能な限り再エネ由来の電力で運用。
  • 廃熱再利用:サーバーから発生する熱を都市の地域熱供給や農業用温室に活用する取り組みも進む。
  • エネルギーマネジメントシステム:ISO 50001 に代表される国際標準を導入し、電力使用の最適化を継続的に管理。

自己宣言と第三者認証

「グリーンデータセンター」という言葉自体は、公的な認証名ではなく概念的な呼称です。したがって、事業者が「当社のデータセンターはグリーンです」と独自にアピールすることも可能です。

ただし信頼性を担保するために、以下のような第三者認証を併用するのが一般的になりつつあります。

  • LEED(米国発の建築物環境認証)
  • ISO 14001(環境マネジメントシステム)
  • ISO 50001(エネルギーマネジメントシステム)
  • Energy Star(米国環境保護庁の認証制度)

これらを取得することで、「単なる自己宣言」ではなく、客観的にグリーンであると証明できます。

まとめ

つまり、グリーンデータセンターとは 省エネ設計・再エネ利用・効率的冷却・熱再利用 といった総合的な施策を通じて、環境負荷を抑えながらデジタル社会を支える拠点です。公式の認証ではないものの、世界各国で自主的な基準や法的規制が整備されつつあり、今後は「グリーンであること」が新設データセンターの前提条件となる可能性が高まっています。

日本国内の動向

日本国内でも複数の事業者がグリーンデータセンターの実現に向けて積極的な試みを進めています。

  • さくらインターネット(石狩データセンター) 世界最大級の外気冷却方式を採用し、北海道の寒冷な気候を活かして空調電力を大幅に削減。さらに直流送電や、近年では液体冷却(DLC)にも取り組み、GPUなどの高発熱サーバーに対応可能な設計を導入しています。JERAと提携してLNG火力発電所の冷熱やクリーン電力を利用する新センター構想も進めており、環境配慮と高性能化の両立を図っています。
  • NTTコミュニケーションズ 国内最大規模のデータセンター網を持ち、再エネ導入と同時に「Smart Energy Vision」と呼ばれる全社的な環境戦略の一環でPUE改善を推進。都市部データセンターでも水冷や外気冷却を組み合わせ、省エネと安定稼働を両立させています。
  • IIJ(インターネットイニシアティブ) 千葉・白井や島根・松江のデータセンターで先進的な外気冷却を採用。テスラ社の蓄電池「Powerpack」を導入するなど、蓄電技術との組み合わせでピーク電力を削減し、安定した省エネ運用を実現しています。

これらの事例は、地域の気候条件や電力会社との連携を活用しつつ、日本ならではの「省エネと高密度運用の両立」を模索している点が特徴です。

ガバメントクラウドとグリーン要件

2023年、さくらインターネットは国内事業者として初めてガバメントクラウドの提供事業者に認定されました。

この認定は、約300件におよぶ セキュリティや機能要件 を満たすことが条件であり、環境性能は直接の認定基準には含まれていません

しかし、ガバメントクラウドに採択されたことで「国内で持続可能なインフラを提供する責務」が強まったのも事実です。環境性能そのものは条件化されていないものの、政府のカーボンニュートラル政策と並走するかたちで、さくらはDLCや再エネ活用といった施策を強化しており、結果的に「グリーンガバメントクラウド」へ近づきつつあるともいえます。

まとめ

日本国内ではまだ「新設データセンターにグリーン基準を義務化する」といった明確な法規制は存在しません。しかし、

  • 政府の後押し(環境省・経産省)
  • 国内事業者の先進的な省エネ事例
  • ガバメントクラウド認定と政策整合性

といった動きが重なり、結果的に「グリーンであることが競争優位性」へとつながり始めています。今後は、再エネ調達や冷却技術だけでなく、電力消費の透明性やPUE公表の義務化といった新たな政策的要求も出てくる可能性があります。

クラウド大手の取り組み(日本拠点)

日本国内のデータセンター市場においては、外資系クラウド大手である AWS(Amazon Web Services)Google CloudMicrosoft Azure の3社が圧倒的な存在感を示しています。行政や大企業を中心にクラウド移行が加速するなかで、これらの事業者は単にシステム基盤を提供するだけでなく、「環境性能」そのものをサービス価値として前面に打ち出す ようになっています。

それぞれの企業はグローバルで掲げる脱炭素ロードマップを日本にも適用しつつ、国内の電力事情や市場特性に合わせた工夫を取り入れています。

以下では、主要3社の日本におけるグリーンデータセンター戦略を整理します。

AWS(Amazon Web Services)

AWSはグローバルで最も積極的に再生可能エネルギー導入を進めている事業者の一つであり、日本でも例外ではありません。

  • 再エネ調達の拡大 日本国内の再エネ発電設備容量を、2023年の約101MWから2024年には211MWへと倍増させました。これは大規模な太陽光・風力発電所の建設に加え、オフィスや施設の屋根を活用した分散型再エネの調達を組み合わせた成果です。今後もオフサイトPPA(Power Purchase Agreement)などを通じて、さらなる再エネ利用拡大を計画しています。
  • 低炭素型データセンター設計 建材段階から環境負荷を抑える取り組みも進めており、低炭素型コンクリートや高効率建材を導入することで、エンボディドカーボンを最大35%削減。加えて、空調・電力供給の効率化により、運用段階のエネルギー消費を最大46%削減できると試算されています。
  • 環境効果の訴求 AWSは自社のクラウド利用がオンプレミス運用と比べて最大80〜93%のCO₂排出削減効果があると強調しています。これは、単なる省エネだけでなく、利用者企業の脱炭素経営に直結する数値として提示されており、日本企業の「グリーン調達」ニーズに応える強いアピールポイントとなっています。

Google Cloud

Googleは「2030年までにすべてのデータセンターとキャンパスで24時間365日カーボンフリー電力を利用する」という大胆な目標を掲げています。これは単に年間消費電力の総量を再エネで賄うのではなく、常にリアルタイムで再エネ電力を利用するという野心的なロードマップです。

  • 日本での投資 2021年から2024年にかけて、日本に総額約1100億円を投資し、東京・大阪リージョンの拡張を進めています。これにより、AIやビッグデータ需要の高まりに対応すると同時に、再エネ利用や効率的なインフラ整備を進めています。
  • 再エネ調達 Googleは世界各地で再エネ事業者との長期契約を結んでおり、日本でもオフサイトPPAによる風力・太陽光の調達が進行中です。課題は日本の電力市場の柔軟性であり、欧米に比べて地域独占が残る中で、どのように「24/7カーボンフリー」を実現するかが注目されます。
  • AI時代を意識したグリーン戦略 Google CloudはAI向けのGPUクラスタやTPUクラスタを強化していますが、それらは非常に電力を消費します。そのため、冷却効率を最大化する設計や液体冷却技術の導入検証も行っており、「AIインフラ=環境負荷増大」という批判に先手を打つ姿勢を見せています。

Microsoft Azure

Azureを運営するマイクロソフトは「2030年までにカーボンネガティブ(排出量よりも多くのCO₂を除去)」を掲げ、他社より一歩踏み込んだ目標を示しています。

  • 日本での巨額投資 2023〜2027年の5年間で、日本に2.26兆円を投資する計画を発表。AIやクラウド需要の高まりに対応するためのデータセンター拡張に加え、グリーンエネルギー利用や最新の省エネ設計が組み込まれると見られています。
  • カーボンネガティブの実現 マイクロソフトは再エネ導入に加え、カーボンオフセットやCO₂除去技術(DAC=Direct Air Captureなど)への投資も進めています。これにより、日本のデータセンターも「単に排出を減らす」だけでなく「排出を上回る吸収」に貢献するインフラとなることが期待されています。
  • AIと環境負荷の両立 AzureはOpenAI連携などでAI利用が拡大しており、その分データセンターの電力消費も急増中です。そのため、日本でも液体冷却や高効率電源システムの導入が検討されており、「AI時代の持続可能なデータセンター」としてのプレゼンスを確立しようとしています。

まとめ

AWS・Google・Azureの3社はいずれも「脱炭素」を世界的なブランド戦略の一部と位置づけ、日本でも積極的に投資と再エネ導入を進めています。特徴を整理すると:

  • AWS:短期的な実効性(再エネ容量拡大・建材脱炭素)に強み
  • Google:長期的で先進的(24/7カーボンフリー電力)の実現を追求
  • Azure:さらに一歩進んだ「カーボンネガティブ」で差別化

いずれも単なる環境対策にとどまらず、企業顧客の脱炭素ニーズに応える競争力の源泉として「グリーンデータセンター」を打ち出しているのが大きな特徴です。

世界の動向

データセンターの環境負荷低減は、日本だけでなく世界中で重要な政策課題となっています。各国・地域によってアプローチは異なりますが、共通しているのは 「新設時に環境基準を義務化する」「既存センターの効率改善を促す」、そして 「透明性や報告義務を強化する」 という方向性です。

中国

中国は世界最大級のデータセンター市場を抱えており、そのエネルギー需要も膨大です。これに対応するため、政府は「新たなデータセンター開発に関する3年計画(2021–2023)」を策定。

  • 新設データセンターは必ず「4Aレベル以上の低炭素ランク」を満たすことを義務化。
  • PUEについては、原則 1.3以下 を目指すとされており、これは国際的にも高い基準です。
  • また、地域ごとにエネルギー利用制限を設定するなど、電力網の負担軽減も重視しています。

このように、中国では法的に厳格な基準を義務付けるトップダウン型の政策が採られているのが特徴です。

シンガポール

国土が狭く、エネルギー資源が限られているシンガポールは、データセンターの増加が直接的に電力需給や都市環境に影響するため、世界でも最も厳格な基準を導入しています。

  • BCA-IMDA Green Mark for New Data Centre制度を導入し、新規建設時にはPUE 1.3未満WUE(水使用効率)2.0/MWh以下といった基準を必ず満たすことを要求。
  • さらに、Platinum認証を取得することが事実上の前提となっており、建設コストや設計自由度は制限されるものの、長期的な環境負荷低減につながるよう設計されています。

これにより、シンガポールは「グリーンデータセンターを建てなければ新設許可が出ない国」の代表例となっています。

欧州(EU)

EUは環境規制の先進地域として知られ、データセンターに対しても段階的な基準強化が進められています。特に重要なのが Climate Neutral Data Centre Pact(気候中立データセンターパクト)です。

  • 業界団体による自主的な協定ですが、参加事業者には独立監査による検証が課され、未達成であれば脱会措置もあり、実質的に拘束力を持ちます。
  • 2025年までに再エネ比率75%、2030年までに100%を達成。
  • PUEについても、冷涼地域では1.3以下、温暖地域では1.4以下を必須目標と設定。
  • さらに、廃熱の地域利用サーバー部品の再利用率についても基準を設けています。

また、EUの「エネルギー効率指令(EED)」や「EUタクソノミー(持続可能投資の分類基準)」では、データセンターに関するエネルギー消費データの開示義務や、持続可能性を満たす事業への投資優遇が明文化されつつあります。

米国

米国では連邦レベルでの統一規制はまだ整備途上ですが、州ごとに先行的な取り組みが始まっています。

  • カリフォルニア州では、電力網の逼迫を背景に、データセンターに対するエネルギー使用制限や効率基準の導入が議論されています。
  • ニューヨーク州では「AIデータセンター環境影響抑制法案」が提出され、新設時に再エネ利用を義務付けるほか、電力使用量や冷却効率の毎年報告を求める内容となっています。
  • 一方で、米国のクラウド大手(AWS、Google、Microsoft)は、こうした規制を先取りする形で自主的に100%再エネ化やカーボンネガティブの方針を打ち出しており、規制強化をむしろ競争力強化の機会に変えようとしています。

世界全体の潮流

これらの事例を総合すると、世界の方向性は次の3点に集約されます。

  • 新設時の義務化 シンガポールや中国のように「グリーン基準を満たさないと新設できない」仕組みが広がりつつある。
  • 段階的な基準強化 EUのように「2025年までにXX%、2030年までに100%」といった期限付き目標を設定する動きが主流。
  • 透明性と報告義務の強化 米国やEUで進む「エネルギー使用・効率データの開示義務化」により、事業者は環境性能を競争要素として示す必要がある。

まとめ

世界ではすでに「グリーンであること」が競争力の差別化要因から参入条件へと変わりつつあります。

  • 中国やシンガポールのように法的義務化する国
  • EUのように自主協定と規制を組み合わせて強制力を持たせる地域
  • 米国のように州ごとに規制を進め、クラウド大手が先行的に対応する市場

いずれも「段階的に条件を引き上げ、将来的には全データセンターがグリーン化される」方向に動いており、日本にとっても無視できない国際的潮流です。

おわりに

本記事では、日本国内の政策や事業者の取り組み、そして世界各国の規制や潮流を整理しました。ここから見えてくるのは、グリーンデータセンターはもはや“環境意識の高い企業が任意に取り組むオプション”ではなく、持続可能なデジタル社会を実現するための必須条件へと変わりつつあるという現実です。

日本は現状、環境性能をデータセンター新設の法的条件として課してはいません。しかし、環境省・経産省の支援策や、さくらインターネットやIIJ、NTTといった国内事業者の自主的な取り組み、さらにAWS・Google・Azureといった外資大手の投資によって、確実に「グリーン化の流れ」は強まっています。ガバメントクラウドの認定要件には直接的な環境基準は含まれませんが、国のカーボンニュートラル方針と整合させるかたちで、実質的には「環境性能も含めて評価される時代」に近づいています。

一方で、海外と比較すると日本には課題も残ります。シンガポールや中国が新設時に厳格な基準を義務化し、EUが段階的に再エネ比率やPUEの引き上げを制度化しているのに対し、日本はまだ「自主努力に依存」する色合いが強いのが実情です。今後、AIやIoTの拡大により電力需要が爆発的に増すなかで、規制とインセンティブをどう組み合わせて「環境性能の底上げ」を進めていくかが大きな焦点となるでしょう。

同時に、グリーンデータセンターは環境問題の解決にとどまらず、企業の競争力や国際的なプレゼンスにも直結します。大手クラウド事業者は「グリーン」を武器に顧客のESG要求や投資家の圧力に応え、差別化を図っています。日本の事業者も、この流れに追随するだけでなく、寒冷地利用や電力系統の分散、再エネの地産地消といった日本独自の強みを活かした戦略が求められます。

結局のところ、グリーンデータセンターは単なる技術課題ではなく、エネルギー政策・産業競争力・国家戦略が交差する領域です。今後10年、日本が世界の潮流にどう歩調を合わせ、あるいは独自の価値を示していけるかが問われるでしょう。

参考文献

光電融合技術(PEC):未来の高速・省エネコンピューティングへ

近年インターネットやAIの急拡大に伴い、データ通信と処理の高速化・省エネ化が求められています。そこで注目されるのが、光電融合技術(Photonic‑Electronics Convergence, PEC)。これは、電気回路で演算し、光回路で伝送するシームレスな融合技術であり、NTTのIOWN構想を筆頭に世界中で研究・標準化が進んでいます。

🌟 なぜ光電融合が注目されるのか?

私たちが日常的に利用するスマートフォン、動画配信サービス、クラウド、AIアプリケーション──これらすべては背後で膨大なデータ通信と演算処理を必要としています。そして、この情報爆発の時代において、大量のデータを高速・低遅延かつ低消費電力で処理・転送することは極めて重要な課題となっています。

従来の電子回路(エレクトロニクス)では、データ伝送の際に電気信号の抵抗・発熱・ノイズといった物理的限界が付きまとい、特に大規模データセンターでは消費電力や冷却コストの増大が深刻な問題になっています。

以下は、光電融合技術が注目される主要な理由です:

1. 電力消費の大幅削減が可能

データセンターでは、CPUやメモリの演算処理だけでなく、それらをつなぐ配線・インターコネクトの電力消費が非常に大きいとされています。

光信号を使えば、配線における伝送損失が激減し、発熱も抑えられるため、冷却装置の稼働も抑えることができます。

例えば、NTTのIOWN構想では、現在のインターネットと比較して、

  • 消費電力を100分の1に
  • 遅延を1/200に
  • 伝送容量を125倍にする という目標を掲げており、これはまさに光電融合が実現のカギとなる技術です。

2. AI・IoT時代に求められる超低遅延性

リアルタイム性が重要な自動運転、遠隔医療、産業用ロボット、メタバースなどの分野では、数ミリ秒以下の応答時間(レイテンシ)が求められます。

従来の電気信号では、長距離通信や複数のノードを介した接続により遅延や信号の揺らぎが発生してしまいます。

光通信を組み込むことで、信号の遅延を物理的に短縮できるため、リアルタイム応答性が飛躍的に高まります。

特に、光電融合で「チップ内」や「チップ間」の通信まで光化できれば、従来のボトルネックが根本的に解消される可能性があります。

3. 大容量・高帯域化に対応できる唯一の選択肢

AI処理やビッグデータ分析では、1秒あたり数百ギガビット、あるいはテラビットを超えるデータのやり取りが当たり前になります。

こうした爆発的な帯域要求に対し、光通信は非常に広い周波数帯(数百THz)を使えるため、電気では実現できない圧倒的な情報密度での伝送が可能です。

さらに、波長多重(WDM)などの技術を組み合わせれば、1本の光ファイバーで複数の信号を並列伝送することもでき、スケーラビリティの面でも大きな優位性を持っています。

4. チップレット技術・3D集積との相性が良い

近年の半導体開発では、単一の巨大チップを作るのではなく、複数の小さなチップ(チップレット)を組み合わせて高性能を実現するアーキテクチャが主流になりつつあります。

このチップレット間を電気で接続する場合、ボトルネックになりやすいのが通信部分です。

ここに光電融合を適用することで、チップ間の高スループット通信を実現でき、次世代CPUやAIアクセラレータの開発にも重要な役割を果たします。

すでにNVIDIAやライトマターなどの企業がこの領域に本格参入しています。

5. 持続可能なIT社会の実現に向けて

世界中のエネルギー問題、CO₂排出削減目標、そしてESG投資の拡大──これらの観点からも、ITインフラの省電力化は無視できないテーマです。

光電融合は単なる技術進化ではなく、環境と経済の両立を目指す社会的要請にも応える技術なのです。

🧩 PECの4段階ロードマップ(PEC‑1〜PEC‑4)

NTTが提唱するIOWN構想では、光と電気の融合(PEC:Photonic-Electronic Convergence)を段階的に社会実装していくために、4つのフェーズから成る技術ロードマップが描かれています。

このPECロードマップは、単なる回路設計の変更ではなく、情報通信インフラ全体の抜本的な見直しと位置づけられており、2030年代を見据えた長期的な国家・業界レベルの戦略に基づいています。

それぞれのステージで「どのレイヤーを光化するか」が変化していく点に注目してください。

ステージ領域内容予定時期
PEC‑1ネットワークデータセンター間の光通信化(APN商用化)既に実施 
PEC‑2ボード間サーバー/ネットワーク機器間ボード光化~2025年
PEC‑3チップ間チップレット光接続による高速転送2025〜2028年
PEC‑4チップ内CPUコア内の光配線で演算まで光化2028〜2032年+

🔹 PEC‑1:ネットワークレベルの光化(APN)【〜現在】

  • 概要:最初の段階では、データセンター間や都市間通信など、長距離ネットワーク伝送に光技術を導入します。すでに商用化が進んでおり、IOWNの第1フェーズにあたります。
  • 技術的特徴
    • 光ファイバー+光パケット伝送(APN: All-Photonics Network)
    • デジタル信号処理(DSP)付きの光トランシーバー活用
    • WDM(波長分割多重)による1本の線で複数の通信路
  • 利点
    • 帯域幅の拡張
    • 長距離通信における遅延の最小化(特にゲームや金融などに効果)
  • 実績
    • 2021年よりNTTが試験導入を開始し、2023年から企業向けに展開
    • NTTコミュニケーションズのAPNサービスとして一部稼働中

🔹 PEC‑2:ボードレベルの光電融合【2025年ごろ】

  • 概要:2段階目では、サーバーやスイッチ内部のボード同士の接続を光化します。ここでは、距離は数十cm〜数mですが、データ量が爆発的に多くなるため、消費電力と発熱の削減が極めて重要です。
  • 技術的特徴
    • コパッケージド・オプティクス(CPO:Co-Packaged Optics)の導入
    • 光トランシーバとASICを同一基板上に配置
    • 光配線を用いたボード間通信
  • 利点
    • スイッチ機器の消費電力を最大80%削減
    • システム全体の冷却コストを大幅に抑制
    • 通信エラーの減少
  • 主な企業動向
    • NVIDIAがCPO技術搭載のデータセンタースイッチを2025年に発売予定
    • NTTはIOWN 2.0としてPEC‑2の社会実装を計画中

🔹 PEC‑3:チップ間の光化【2025〜2028年】

  • 概要:3段階目では、1つのパッケージ内にある複数のチップ(チップレット)間を光で接続します。これにより、次世代のマルチチップ型CPU、AIプロセッサ、アクセラレータの性能を飛躍的に引き上げることが可能となります。
  • 技術的特徴
    • 光I/Oチップ(光入出力コア)の開発
    • シリコンフォトニクスと高密度配線のハイブリッド設計
    • 超小型のマイクロ光導波路を使用
  • 利点
    • チップレット間通信のボトルネックを解消
    • 高スループットで低レイテンシな並列処理
    • 複雑な3D集積回路の実現が容易に
  • 活用例
    • AIアクセラレータ(例:推論・学習チップ)の高速化
    • 医療画像処理や科学シミュレーションへの応用

🔹 PEC‑4:チップ内の光化【2028〜2032年】

  • 概要:最終フェーズでは、CPUやAIプロセッサの内部配線(コアとコア間、キャッシュ間など)にも光信号を導入します。つまり、演算を行う「脳」そのものが光を使って情報を伝えるようになるという画期的な段階です。
  • 技術的特徴
    • 光論理回路(フォトニックロジック)や光トランジスタの実装
    • チップ内の情報伝達路すべてを光導波路で構成
    • 位相・偏波制御による論理演算の最適化
  • 利点
    • 熱によるスローダウン(サーマルスロットリング)の回避
    • チップ全体の動作速度向上(GHz→THz級へ)
    • システム規模に比例してスケーラブルな性能
  • 研究段階
    • 産総研、NTTデバイス、PETRA、NEDOなどが先行開発中
    • 10年スパンでの実用化が目指されている

🧭 ロードマップ全体を通じた目標

NTTが掲げるIOWNビジョンによれば、これらPECステージを通じて達成されるのは以下のような次世代情報インフラの姿です:

  • 伝送容量:現在比125倍
  • 遅延:現在比1/200
  • 消費電力:現在比1/100
  • スケーラビリティ:1デバイスあたりTbps〜Pbps級の通信

このように、PECの4段階は単なる半導体の進化ではなく、地球規模で持続可能な情報社会へのシフトを可能にする基盤技術なのです。

🏭 各社の取り組み・最新事例

光電融合(PEC)は、NTTをはじめとする日本企業だけでなく、世界中の大手IT企業やスタートアップ、大学・研究機関までもが関わるグローバルな技術競争の最前線にあります。

ここでは、各社がどのようにPECの開発・商用化を進めているか、代表的な動きを紹介します。

✔️ NTTグループ:IOWN構想の中核を担う主導者

  • IOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想のもと、PECの4段階導入を掲げ、APN(All Photonics Network)や光電融合チップの研究開発を推進。
  • NTTイノベーティブデバイス(NID)を設立し、PEC実装をハードウェアレベルで担う。光I/Oコア、シリコンフォトニクスなどで2025年商用化を目指す。
  • 2025年の大阪・関西万博では、IOWN技術を使ったスマート会場体験の提供を計画中。実証フィールドとして世界から注目されている。

🧪 注目技術

  • メンブレン型半導体レーザー
  • 光トランジスタ
  • シリコンフォトニクス+電気LSIのハイブリッドパッケージ

🧪 NVIDIA:次世代データセンターでのCPO導入

  • 高性能GPUのリーダーであるNVIDIAは、光インターコネクトに強い関心を持ち、CPO(Co-Packaged Optics)への取り組みを強化。
  • 2025年に予定されている次世代データセンタースイッチでは、光トランシーバをASICと同一パッケージに搭載することで、従来の電気配線の課題を根本的に解決。
  • メリットは「スイッチポート密度向上」「消費電力抑制」「冷却効率向上」など。光配線技術がGPUクラスタの拡張に直結する。

📊 ビジネス的インパクト

  • HPC/AIクラスタ向けインターコネクト市場を狙う
  • 将来的にはNVIDIA Grace Hopper系統のSoCとも統合可能性

🧪 Lightmatter(米国):AIと光電融合の統合戦略

  • 2017年創業のスタートアップで、光によるAI推論処理チップと光通信を同一パッケージに統合
  • フォトニックプロセッサ「Envise」は、AIモデルの前処理・後処理を電気で、行列演算のコアを光で行うハイブリッド設計。
  • さらに、光スイッチFabric「Passage」も開発しており、チップレット構成における光配線による柔軟な接続構造を提案。

ロードマップ

  • 2025年夏:光AIチップ商用化予定
  • 2026年:3D積層型光電融合モジュールを展開

🧪 Intel:シリコンフォトニクスの量産体制構築

  • 2010年代から光トランシーバや光I/O製品の商用化を行っており、データセンター向けに広く出荷。
  • PEC技術の先進的応用として、チップレット間接続や冷却機構と組み合わせた3D光パッケージの開発にも力を入れている。
  • 大手クラウドベンダー(Hyperscaler)と提携し、100G/400G光I/Oの開発と製造を拡大中。

🔧 実績

  • 100G PSM4モジュール
  • Coherent光トランシーバ(CPO設計)

🧪 産総研(AIST):国内の基礎研究・標準化をリード

  • フォトニクス・エレクトロニクス融合研究センター(PEIRC)を設立。PECに必要な光導波路、光スイッチ、フォトニック集積回路を網羅的に研究。
  • 量産を見据えた高信頼・高密度光実装技術や、光I/Oコアチップなどのコンソーシアムも支援。

🧪 産学連携

  • NEDO、PETRA、大学、民間企業と連携し国際標準策定にも貢献
  • 日本のPECロードマップ立案において中心的役割

📊 その他の主要プレイヤー・動向

  • Broadcom/Cisco:400G/800Gトランシーバを軸にCPOに向けた研究を強化。
  • 中国勢(華為・中興):光I/Oやチップパッケージ特許申請が活発。中国内でのPEC技術独自育成を目指す。
  • EU/IMEC/CEA-Leti:エネルギー効率の高いフォトニックアクセラレータの共同研究プロジェクトが複数進行中。

✔️ まとめ:技術競争と共創の時代へ

光電融合(PEC:Photonic-Electronic Convergence)は、単なる技術革新の1つにとどまらず、今後の情報社会の構造そのものを変革する起爆剤として注目されています。

本記事を通じて紹介したとおり、PECはNTTのIOWN構想をはじめ、NVIDIAやIntel、産総研、Lightmatterといった国内外の主要プレイヤーが、それぞれの強みを生かして段階的な社会実装と技術開発を進めています。

✔️ なぜ今、光電融合なのか?

私たちはいま、「限界を迎えつつある電気回路の時代」から、「光が支える新しい計算・通信インフラ」への転換点に立っています。

スマートフォンやクラウドサービス、生成AIなど、利便性が高まる一方で、それを支えるインフラは電力消費の増大、物理限界、冷却コストの上昇といった深刻な課題に直面しています。

光電融合は、こうした課題を根本から解決する手段であり、しかもそれを段階的に社会へ導入するための技術ロードマップ(PEC-1〜PEC-4)まで明確に描かれています。これは、革新でありながらも「現実的な未来」でもあるのです。

✔️ 技術競争だけでなく「共創」が鍵

世界中のIT企業・半導体メーカー・研究機関が、この領域で激しい競争を繰り広げています。

NVIDIAはデータセンター市場での覇権を視野に入れたCPO技術を、Lightmatterは光演算と通信の一体化によってAI領域の最適解を提示し、Intelは長年の光トランシーバ開発をベースに量産体制を築こうとしています。

一方、NTTや産総研を中心とする日本勢も、独自の強みで世界に挑んでいます。

しかし、光電融合という分野は、電気・光・材料・設計・ソフトウェア・システム工学といった多層的な知識・技術の統合が必要な領域です。

1つの企業・研究機関では完結できないため、いま求められているのは、国境や業界の垣根を超えた「共創」なのです。

✔️ 私たちの未来とどう関係するのか?

PECは一般消費者の目に触れることは少ない技術です。しかし、今後数年のうちに、以下のような変化を私たちは日常の中で体験することになるでしょう:

  • ✔️ 動画の読み込みが瞬時に終わる
  • ✔️ 遠隔医療や遠隔操作がストレスなく利用できる
  • ✔️ AIとの対話が人間と変わらないほど自然になる
  • ✔️ データセンターがより環境にやさしく、電力使用量が削減される

これらはすべて、裏側で動く情報処理・伝送技術が劇的に進化することによって初めて実現できる世界です。

🏁 結びに

光電融合は、単なる“未来の技術”ではありません。すでにPEC-1は現実となり、PEC-2〜4へ向けた準備も着々と進んでいます。

この技術が本格的に普及することで、私たちの社会インフラ、産業構造、ライフスタイルまでもが大きく変化していくことは間違いありません。

これからの数年、どの企業が主導権を握るのか、どの国が標準を制するのか──その動きに注目することは、未来を読み解くうえで非常に重要です。

そして、その未来は意外とすぐそばに迫っているのです。

光と電気が融合する時代──それは、持続可能で豊かな情報社会への第一歩です。

📚 参考文献

スーパーコンピュータ「ABCI 3.0」正式稼働──日本のAI研究を支える次世代インフラ

2025年1月、国立研究開発法人 産業技術総合研究所(AIST)が運用するスーパーコンピュータ「ABCI 3.0」が正式に稼働を開始しました。

その圧倒的な計算性能と柔軟なクラウドアクセス性を備えたこの新しいAIインフラは、日本のAI開発と産業応用を支える基盤として、今後ますます注目を集めていくことになるでしょう。

AI特化型スーパーコンピュータの最新進化

ABCI 3.0は、AI開発に特化した次世代スーパーコンピュータとして、これまでのABCIシリーズを大幅に凌駕する性能を備えています。とくに深層学習や生成AI、大規模マルチモーダルAIの訓練と推論に最適化された設計が特徴です。

最大の強みは、NVIDIA最新GPU「H200 Tensor Core」を6,128基搭載している点です。これにより、FP16(半精度浮動小数点)では最大6.22エクサフロップス(EFLOPS)という世界最高クラスのAI計算性能を達成しています。

また、各計算ノードには高性能なCPUと大容量のメモリが搭載され、GPU間やノード間の通信もInfiniBand NDR 200Gbpsによって高速かつ低遅延で実現されています。ストレージには全フラッシュ型75PBが用意されており、大規模データセットをストレスなく扱うことが可能です。

こうした構成により、ABCI 3.0は単なる数値計算用スーパーコンピュータを超え、次世代AI研究と産業活用を同時に支える「AIインフラ」としての役割を担っています。

ABCI 2.0とのスペック比較

項目ABCI 2.0ABCI 3.0向上点
稼働開始2021年2025年
GPUNVIDIA A100(4,352基)NVIDIA H200(6,128基)約1.4倍+世代更新
GPUメモリ40GB(A100)141GB(H200)約3.5倍の容量
FP16性能約0.91 EFLOPS約6.22 EFLOPS約6.8倍
CPUIntel Xeon Gold 6248 ×2Xeon Platinum 8558 ×2世代更新・高密度化
ノード数約544台766台約1.4倍
メモリ容量384GB/ノード2TB/ノード約5.2倍
GPU間通信NVLink 3.0NVLink 4+NDR InfiniBand高速化+低遅延化
ストレージ32PB HDD+一部SSD75PB オールフラッシュ高速化・容量拡張
ネットワークInfiniBand HDRInfiniBand NDR 200Gbps世代更新+帯域UP

ABCI 3.0の性能向上は、単なる数値的なスペックアップにとどまらず、生成AIや大規模LLMの研究を日本国内で自律的に進められるレベルへと引き上げた点にこそ意味があります。

これにより、国内の研究者や企業が、海外クラウドに依存せずに先端AIを育てる環境が整いつつあります。これは、今後の日本の技術主権(AIソブリンティ)を考えるうえでも非常に大きな一歩です。

何のために作られたのか?──ABCI 3.0の使命

ABCI 3.0は、単なる計算機の置き換えや性能向上を目的としたプロジェクトではありません。その本質は、日本におけるAI研究・開発の「基盤自立性」と「国家的競争力の強化」を支える次世代インフラを構築することにあります。

とくにここ数年で、生成AIの急速な進化とそれを牽引する海外プラットフォーマー(OpenAI、Google、Metaなど)の存在感が高まったことで、AI研究環境の国内整備とアクセス可能性が強く求められるようになってきました。ABCI 3.0は、こうした背景を受けて、日本のAI研究者・技術者・起業家が国産の計算資源で自由に開発を行える環境を提供するために構築されました。

政策的背景と位置づけ

ABCI 3.0は、経済産業省の「生成AI基盤整備事業」に基づいて推進された国家プロジェクトの一環であり、AI技術の社会実装・商用利用に直結する研究開発を支える「オープンで中立的な計算インフラ」として設計されています。

民間クラウドは性能・スケーラビリティに優れる一方で、利用コストやデータの主権、技術的制約(例:独自チップの使用制限、API封鎖)などの課題があります。ABCI 3.0は、こうした制約から解放された「自由に使える公的GPUスーパーコンピュータ」という点で、非常にユニークな存在です。

研究・産業界のニーズに応える汎用性

ABCI 3.0は、次のような広範なニーズに対応しています:

  • 生成AI・大規模言語モデル(LLM)の訓練・チューニング → 日本語コーパスを活用したローカルLLMの開発や、企業内モデルの学習に活用可能
  • マルチモーダルAIの研究 → 画像・音声・テキスト・3Dデータなど、複数のデータ形式を統合したAI処理(例:ビデオ理解、ヒューマンロボットインタラクション)
  • AI×ロボティクスの連携 → ロボットの動作学習や環境シミュレーション、デジタルツイン構築に活用される大規模並列処理
  • 製造業・素材産業でのAI応用 → 材料探索、工程最適化、異常検知など、従来型のCAEやシミュレーションとの融合によるAI駆動設計支援
  • 公共分野への応用 → 災害予測、都市計画、社会インフラの保守計画など、社会課題解決に向けた大規模データ処理

こうした幅広い応用可能性は、ABCI 3.0が単なる「計算機」ではなく、AIの社会実装のための共有プラットフォームとして設計されていることを物語っています。

教育・スタートアップ支援の側面

ABCI 3.0の利用対象は、国立大学・研究所だけに限定されていません。中小企業、スタートアップ、さらには高専や学部生レベルの研究者まで、広く門戸が開かれており、利用申請に通ればGPUリソースを安価に利用可能です。

これは、AI開発の「民主化」を進めるための重要な試みであり、新しい人材・アイデアの創出を支える基盤にもなっています。

国家の“AI主権”を支える存在

ABCI 3.0は、日本がAI技術を持続的に発展させ、他国依存から脱却するための“戦略的装置”でもあります。

たとえば、商用クラウドが規制や契約変更で利用できなくなると、開発そのものが停止する恐れがあります。そうした「計算資源の地政学リスク」に備え、国内で運用され、安定供給されるABCI 3.0の存在は極めて重要です。

ABCI 3.0は、スペックだけでなく、「誰のための計算機か?」「何を可能にするか?」という視点で見たときに、その意義がより明確になります。

日本の技術者・研究者が、自由に、かつ安心してAIと向き合える土壌を提供する──それがABCI 3.0の真の使命です。

ABCI 3.0の活用事例

ABCI 3.0は単なる“性能重視のスパコン”ではありません。現在も稼働中で、さまざまな分野の先駆的なプロジェクトが実際に成果を挙げています。ここでは、既に実用化されている活用事例を中心に紹介します。

◆ 1. 大規模言語モデル(LLM)構築支援

  • 株式会社Preferred Networks(PFN)は、ABCI 3.0を活用して日本語特化型LLMの開発を推進しています。第1回の「大規模言語モデル構築支援プログラム」で採択され、PLaMo・ELYZAといった日本語LLMを構築中です  。
  • 多様なスタートアップや大学によるLLM研究も支援されており、ABCI 3.0はまさに「LLMの実験室」として機能しています。

◆ 2. 自動運転・物流AI

  • 株式会社T2は、物流向け自動運転技術の開発にABCI 3.0を活用。大量の走行データ処理と強化学習により、新たな物流インフラ構築を目指しています  。

◆ 3. 音声認識AI/コミュニケーションAI

  • RevCommは、音声認識AIシステムをABCI上で開発し、営業通話の分析やリアルタイムアシスタント機能を実現しています  。

◆ 4. 社会インフラ/災害予測

  • 三菱重工業は、倉庫内のフォークリフトなど産業車両の安全運転支援AIを開発。カメラ映像のリアルタイム処理にABCIを使用しています  。
  • JAEA(日本原子力研究開発機構)は放射性物質拡散予測シミュレーションをリアルタイムで実行中。以前は数百GPU必要だった処理が、ABCI 3.0では60 GPU単位で高速実行できるようになりました  。

◆ 5. 材料開発・地震工学・流体シミュレーション

  • 前川製作所は、食肉加工機械の画像認識AIを構築し、骨検出の自動化を推進  。
  • 地震工学研究では、前身の「京」と比較して10倍に及ぶ高速CPU処理を実現し、数億メッシュの解析を可能にしています  。
  • AnyTech社は、流体挙動を動画解析AI「DeepLiquid」でモデリング。流体の可視化・最適化にABCIを活用  。

◆ 6. 産業界全般での導入

  • Panasonicは材料開発・自動運転用画像認識など多岐にわたる研究にABCIを活用。また独自セキュリティ基盤の構築にも言及し、高い評価を得ています  。
  • 富士通研究所はResNet-50による画像認識タスクで世界最速学習を達成。ABCIでは、最大24時間にわたって全ノードを占有するチャレンジプログラムも提供されています  。

スーパーコンピューティング環境

近年、生成AIや深層学習の需要増加にともない、GPUクラウドの利用が急速に普及しています。しかし、商用クラウドは万能ではなく、研究開発においては「コスト」「自由度」「一貫性」など多くの課題が存在します。

ABCI 3.0は、こうしたクラウドの制約を乗り越えるために設計された、“本物のスーパーコンピューティング環境”です。

◆ 高性能かつ一貫した計算環境

商用クラウドでは、同一インスタンスであっても物理ノードやリージョンによって性能に差が出ることがあります。一方でABCI 3.0は、統一されたハードウェア構成(全ノード:H200 ×8、DDR5 2TB、InfiniBand NDR)を持ち、ノード間の性能差が事実上ゼロという特性があります。

  • 高精度なベンチマーク比較が可能
  • ノード数を増やしても再現性が高い
  • ハードウェアの世代が完全に統一されているため、アルゴリズム検証や精密なスケーリング実験に最適

◆ 超低レイテンシ&高帯域なネットワーク構成

一般的なクラウドはEthernetベースの通信であり、ノード間のレイテンシや帯域は用途によって大きく変動します。

ABCI 3.0では、InfiniBand NDR(200Gbps ×8ポート/ノード)により、GPU同士、ノード同士の通信が極めて高速・安定しています。

この点が特に重要になるのは以下のような用途です:

  • 分散学習(Data Parallel/Model Parallel)
  • 3Dシミュレーションや流体解析のようなノード連携が重視される処理
  • グラフニューラルネットワーク(GNN)など通信集約型AIタスク

◆ ロックインなしのフルコントロール環境

クラウドでは提供事業者の仕様やAPIに依存した設計を強いられがちですが、ABCI 3.0はLinuxベースの完全なオープン環境であり、以下のような自由度が確保されています:

  • Singularity/Podmanによる自前コンテナの持ち込み可能
  • MPI/Horovod/DeepSpeedなどの独自ライブラリ構成が可能
  • ソフトウェア環境の切り替え・ビルド・環境構築が自由自在
  • 商用ライセンスの不要なOSSベースのスタックに特化(PyTorch, JAX, HuggingFace等)

◆ コスト構造の透明性と安定性

パブリッククラウドでは、GPUインスタンスが高騰しがちで、価格も時間単位で変動します。

ABCI 3.0では、利用料金が定額かつ極めて安価で、研究開発予算の予測が立てやすく、長期的な利用にも向いています。

  • GPU 8基ノードを使っても1時間数百円~1000円程度
  • 年度ごとの予算申請・利用時間枠の確保も可能(大学・研究機関向け)
  • 審査制である代わりに、営利利用よりも基礎研究向けに優遇された制度になっている

◆ セキュリティとガバナンスの安心感

ABCI 3.0は、政府機関の研究インフラとして設計されており、セキュリティ面も高水準です。

  • SINET6を通じた学術ネットワーク経由での閉域接続
  • 研究用途の明確な審査フローとログ管理
  • 商用クラウドと異なり、データの国外移転リスクやプロバイダ依存がない

研究・教育・公共データなど、扱う情報に高い安全性が求められるプロジェクトにおいても安心して利用できます。

◆ クラウド的な使いやすさも両立

ABCI 3.0は、伝統的なスパコンにありがちな「難解なCLI操作」だけでなく、WebベースのGUI(Open OnDemand)によるアクセスも可能です。

  • ブラウザからジョブ投入/モニタリング
  • ファイル操作やコード編集もGUIで可能
  • GUIからJupyterLabを立ち上げてPython環境にアクセスすることもできる

これにより、スパコンを使い慣れていない学生・エンジニアでも比較的スムーズに高性能な環境にアクセス可能です。

研究と産業の“橋渡し”を担う環境

ABCI 3.0は、パブリッククラウドのスケーラビリティと、スパコンならではの「統一性能・高速通信・自由度・安心感」を両立する、まさに“スーパーな研究開発環境”です。

  • 自前でGPUインフラを持てない研究者・中小企業にとっては「開発の起点」
  • クラウドの仕様に縛られない自由な実験環境として「検証の場」
  • 官学民の連携を促進する「AI開発の公共インフラ」

日本のAI技術が「海外依存」から一歩抜け出すための自立した基盤として、ABCI 3.0は今後さらに活用が進むことが期待されています。

日本のAI研究を“自立”させる鍵に

近年、生成AIや大規模言語モデル(LLM)の急速な発展により、AIの主戦場は米国を中心とする巨大テック企業のクラウドインフラ上へと移行しました。OpenAI、Google、Meta、Anthropic、xAIなどが次々と数千億円単位のGPUインフラを敷設し、それらを活用して世界規模のLLMやマルチモーダルモデルを次々と開発しています。

一方で、日本のAI研究者や企業にとって最大の課題は、それに対抗し得る計算資源を国内で持てていないことでした。

ハードウェアがなければ、モデルは育てられず、データがあっても訓練できない。優れた人材やアイデアがあっても、それを試す場がない──この「計算資源の格差」こそが、日本のAI研究の足かせとなっていたのです。

◆ 技術主権を支える「国産GPUインフラ」

ABCI 3.0は、こうした状況を打破するために構築された日本初の本格的な公的GPUスーパーコンピュータ基盤です。

6,000基を超えるNVIDIA H200 GPUを有し、FP16で6エクサフロップスを超える性能は、世界の研究機関においてもトップレベル。これは、もはや“スパコン”という枠を超え、AIソブリンインフラ(主権的インフラ)とも呼べる存在です。

  • 日本語特化型LLMの開発(例:ELYZA, PLaMo)
  • 商用クラウドを使えない安全保障・エネルギー・医療研究の推進
  • 海外規制や契約変更による「クラウドリスク」からの脱却

このようにABCI 3.0は、日本がAI開発を他国の都合に左右されず、持続的に推進していくための基盤として機能しています。

◆ “借りる”から“作る”へ──AIの自給自足体制を支援

現在、日本国内で使われているAIモデルの多くは、海外で訓練されたものです。LLMでいえばGPT-4やClaude、Geminiなどが中心であり、日本語特化型モデルの多くも、ファインチューニングにとどまっています。

この状況から脱するには、ゼロから日本語データでAIモデルを訓練する力=計算資源の独立性が不可欠です。

ABCI 3.0はこの点で大きな貢献を果たしており、すでに国内の複数の大学・企業が数百GPU単位での学習に成功しています。

  • 公的研究機関では日本語LLMをゼロから学習(例:Tohoku LLM)
  • スタートアップがGPT-3.5クラスのモデルを国内で育成
  • 医療・法務・金融などドメイン特化型モデルの国産化も進行中

これらは「国産AIモデルの種」を自国でまくための第一歩であり、AIの自立=自国で学び、作り、守る体制の確立に向けた重要な土台となっています。

◆ 単なる「スパコン」ではなく「戦略資産」へ

ABCI 3.0の真価は、その性能だけにとどまりません。

それは、日本がAI領域において独立した意思決定を持つための国家戦略装置であり、研究・教育・産業を横断する「AI主権」の要といえる存在です。

  • 政策的にも支援されており、経済産業省の生成AI戦略の中核に位置付け
  • 内閣府、文部科学省などとの連携による「AI人材育成」「スタートアップ支援」にも波及
  • 自衛隊や官公庁による安全保障・災害対応シミュレーション等への応用も視野

つまり、ABCI 3.0は、日本のAI研究を“研究者の自由”にゆだねつつ、その研究が国益としてつながる回路を構築しているのです。

ABCIは「未来を試せる場所」

「誰かが作ったAIを使う」のではなく、「自分たちでAIを作り出す」。

その挑戦を支える自由で高性能な環境こそが、ABCI 3.0です。

日本のAI研究がこの先、単なる技術追従から脱し、独自の思想・倫理・目的を持ったAI開発へと踏み出すためには、こうした自立したインフラが不可欠です。

ABCI 3.0は、そうした“未来を試す場所”として、すでに動き出しています。

おわりに

ABCI 3.0は、単なる高性能なスーパーコンピュータではありません。それは、日本のAI研究と産業界がこれからの未来に向けて自立した技術基盤を築くための“共有財”です。国内の研究者・技術者・起業家たちが、自らのアイデアや知見を最大限に試せる環境。そこには、これまで「計算資源が足りない」「クラウドコストが高すぎる」といった制約を超えて、自由に創造できる可能性が広がっています。

私たちが目の当たりにしている生成AIやマルチモーダルAIの進化は、もはや一部の巨大テック企業だけのものではありません。ABCI 3.0のような公共性と性能を兼ね備えたインフラが存在することで、日本からも世界レベルの革新が生まれる土壌が整いつつあるのです。

また、このような環境は単なる“研究のための場”にとどまりません。材料開発や自動運転、災害対策、医療・介護、ロボティクスなど、私たちの暮らしに直結する領域にも大きな変革をもたらします。ABCI 3.0は、そうした社会課題解決型AIの開発現場としても極めて重要な役割を担っています。

そしてなにより注目すべきは、これが一部の限られた人だけでなく、広く社会に開かれているということです。大学や研究所だけでなく、スタートアップ、中小企業、そしてこれからAIに挑戦しようとする学生たちにも、その扉は開かれています。

AIの未来を自分たちの手で切り拓く。

ABCI 3.0は、その第一歩を踏み出すための力強い味方です。

日本のAIは、いま“依存”から“自立”へ。

そして、そこから“創造”へと歩みを進めようとしています。

参考文献

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