なぜ今、企業はサイバー防衛の“新たな戦略書”を必要とするのか

サイバー攻撃の脅威は、今や企業の大小や業種を問わず、全ての組織にとって日常的なリスクとなっています。近年では、従来型のマルウェアやフィッシング攻撃だけでなく、AIを悪用した自動化された攻撃や、ディープフェイクを駆使した巧妙なソーシャルエンジニアリングなど、新しいタイプの脅威が次々と登場しています。こうした変化のスピードは極めて速く、セキュリティチームが追従するだけでも膨大なリソースを必要とします。

一方で、サイバーセキュリティを担う専門家の数は依然として不足しており、過重労働や精神的な疲弊による人材流出が深刻化しています。防御側の疲弊と攻撃側の技術進化が重なることで、企業のリスクは指数関数的に拡大しているのが現状です。

さらに、地政学的な緊張もサイバー領域に直接的な影響を与えています。台湾や中国をめぐる国際的な摩擦は、米国や日本を含む同盟国の重要インフラを狙った国家レベルのサイバー攻撃のリスクを高めており、経済安全保障と情報防衛は切り離せない課題になりました。

こうした背景のもとで、単なる防御的なセキュリティ対策ではもはや十分ではありません。企業には、攻撃の予兆を先読みし、組織横断的に対応できる「サイバー防衛の新たなプレイブック(戦略書)」が必要とされています。この記事では、その必要性を多角的に整理し、AI時代のセキュリティ戦略を展望します。

プレイブックとは何か:単なるマニュアルではない「戦略書」

「プレイブック(Playbook)」という言葉は、もともとアメリカンフットボールで使われる用語に由来します。試合の中でどの場面でどんな戦術を取るのかをまとめた作戦集であり、チーム全員が同じ前提を共有して素早く動くための「共通言語」として機能します。サイバーセキュリティにおけるプレイブックも、まさに同じ考え方に基づいています。

従来の「マニュアル」との違いは、単なる手順書ではなく、状況に応じて取るべき戦略を体系化した“生きた文書” である点です。インシデント対応の初動から、経営層への報告、外部機関との連携に至るまで、組織全体が統一した行動を取れるように設計されています。

例えば、次のような要素がプレイブックに含まれます:

  • インシデント対応フロー:攻撃を検知した際の初動手順とエスカレーション経路
  • 役割と責任:CISO・CSIRT・現場担当者・経営層がそれぞれ何をすべきか
  • シナリオごとの行動計画:ランサムウェア感染、DDoS攻撃、情報漏洩など事象ごとの対応策
  • 外部連携プロセス:警察庁・NISC・セキュリティベンダー・クラウド事業者への通報や協力体制
  • 改善と更新の仕組み:演習や実際のインシデントから得られた教訓を取り込み、定期的に改訂するプロセス

つまりプレイブックは、セキュリティ担当者だけでなく経営層や非技術部門も含めた 「組織全体の防御を可能にする戦略書」 なのです。

この概念を理解した上で、次の章から解説する「人材の疲弊」「AIの脅威」「攻撃的防御」「法制度との連携」といった要素が、なぜプレイブックに盛り込まれるべきなのかがより鮮明に見えてくるでしょう。

専門人材の疲弊と組織の脆弱性

サイバー攻撃は休むことなく進化を続けていますが、それを防ぐ人材は限られています。セキュリティ専門家は24時間体制で膨大なアラートに対処し、重大インシデントが起きれば夜間や休日を問わず呼び出されるのが日常です。その結果、多くの担当者が慢性的な疲労や精神的プレッシャーに晒され、離職や燃え尽き症候群(バーンアウト)に直面しています。調査によれば、世界のセキュリティ人材の半数近くが「過重労働が理由で職務継続に不安を感じる」と答えており、人材不足は年々深刻さを増しています。

人員が減れば監視や対応の網は目に見えて粗くなり、わずかな攻撃兆候を見落とすリスクが高まります。さらに、残された人材に業務が集中することで、「疲弊による判断力の低下 → インシデント対応力の低下 → 攻撃の成功率が上がる」 という悪循環に陥りやすくなります。つまり、人材疲弊は単なる労働環境の問題ではなく、組織全体の防御能力を根本から揺るがす要因なのです。

このような背景こそが、新しいサイバーディフェンス・プレイブック(戦略書)が必要とされる最大の理由です。

プレイブックは、属人的な判断に依存しない「組織としての共通ルールと手順」を明文化し、誰が対応しても一定水準の防御が実現できる基盤を提供します。たとえば、インシデント対応のフローを明確化し、AIツールを活用した検知と自動化を組み込めば、疲弊した担当者が一人で判断を抱え込む必要はなくなります。また、教育・トレーニングの一環としてプレイブックを活用することで、新任メンバーや非専門職も一定の対応力を持てるようになり、人材不足を補完できます。

言い換えれば、専門人材の疲弊を前提にせざるを得ない現実の中で、「持続可能なサイバー防衛」を実現する唯一の道がプレイブックの整備なのです。

ジェネレーティブAIがもたらす攻撃の加速と高度化

近年のサイバー攻撃において、ジェネレーティブAIの悪用は最大の脅威のひとつとなっています。これまで攻撃者は高度なプログラミングスキルや豊富な知識を必要としましたが、今ではAIを使うことで初心者でも高精度なマルウェアやフィッシングメールを自動生成できる時代に突入しました。実際、AIを利用した攻撃は 「規模」「速度」「巧妙さ」 のすべてにおいて従来の攻撃を凌駕しつつあります。

たとえば、従来のフィッシングメールは誤字脱字や不自然な文面で見抜かれることが少なくありませんでした。しかし、ジェネレーティブAIを使えば自然な言語で、ターゲットに合わせたカスタマイズも可能です。あるいはディープフェイク技術を用いて経営者や上司の声・映像をリアルに模倣し、従業員をだまして送金や情報開示を迫るといった「ビジネスメール詐欺(BEC)」の新形態も現れています。こうした攻撃は人間の直感だけでは判別が難しくなりつつあります。

さらに懸念されるのは、AIによる攻撃が防御側のキャパシティを圧倒する点です。AIは数秒で数千通のメールやスクリプトを生成し、短時間で広範囲を攻撃対象にできます。これに対抗するには、防御側もAIを駆使しなければ「いたちごっこ」にすらならない状況に追い込まれかねません。

このような状況では、従来のセキュリティ手順だけでは不十分です。ここで重要になるのが 「AI時代に対応したプレイブック」 です。AIによる攻撃を前提にした戦略書には、以下のような要素が不可欠です:

  • AI生成コンテンツ検知の手順化 不自然な通信パターンや生成文章の特徴を検知するルールを明文化し、人材が入れ替わっても継続的に運用できる体制を整える。
  • AIを利用した自動防御の導入 膨大な攻撃を人手で対応するのは不可能なため、AIを使ったフィルタリングや行動分析をプレイブックに組み込み、迅速な一次対応を可能にする。
  • 誤情報やディープフェイクへの対抗策 経営層や従業員が「なりすまし」に騙されないための検証手順(多要素認証や二重承認プロセスなど)を標準フローとして明記する。
  • シナリオ演習(Tabletop Exercise)の実施 AIが生成する未知の攻撃シナリオを定期的にシミュレーションし、組織としての判断・対応を訓練しておく。

つまり、ジェネレーティブAIが攻撃の裾野を広げることで、防御側は「経験豊富な人材の判断」だけに頼るのではなく、誰でも即座に行動できる共通の防衛フレームワークを持つ必要があります。その中核を担うのが、AI脅威を明示的に想定した新しいプレイブックなのです。

「攻撃する防御」の重要性:オフェンシブ・セキュリティへの転換

従来のサイバー防衛は「侵入を防ぐ」「被害を最小化する」といった受動的な発想が中心でした。しかし、AIによって攻撃の速度と巧妙さが増している現在、単に「守るだけ」では対応が追いつきません。むしろ、企業自身が攻撃者の視点を積極的に取り入れ、脆弱性を事前に洗い出して修正する オフェンシブ・セキュリティ(攻撃的防御) への転換が求められています。

その代表的な手法が レッドチーム演習ペネトレーションテスト です。レッドチームは実際の攻撃者になりきってシステムに侵入を試み、想定外の抜け穴や人間の行動パターンに潜むリスクを発見します。これにより、防御側(ブルーチーム)は「実際に攻撃が起きたらどうなるのか」を疑似体験でき、理論上の安全性ではなく実践的な防御力を鍛えることができます。

また、近年は「バグバウンティプログラム」のように、外部の研究者やホワイトハッカーに脆弱性を発見してもらう取り組みも拡大しています。これにより、企業内部だけでは気づけない多様な攻撃手法を検証できる点が強みです。

ここで重要になるのが、オフェンシブ・セキュリティを単発のイベントに終わらせない仕組み化です。発見された脆弱性や演習の教訓を「サイバーディフェンス・プレイブック」に体系的に反映させることで、組織全体のナレッジとして共有できます。たとえば:

  • 演習結果をインシデント対応手順に組み込む 実際の攻撃シナリオで判明した弱点を元に、対応フローを更新し、次回以降のインシデントで即応可能にする。
  • 脆弱性修正の優先度を明文化 どの種類の脆弱性を優先して修正すべきか、経営層が意思決定できるように基準を示す。
  • 教育・トレーニングへの反映 発見された攻撃手法を教材化し、新人教育や継続学習に組み込むことで、人材育成と組織的対応力の両方を強化する。

このように、攻撃的な視点を持つことは「守るための準備」をより実践的にするための不可欠なステップです。そして、それを一過性の活動にせず、プレイブックに落とし込み標準化することで、組織は『攻撃を糧にして防御を成長させる』サイクルを回すことが可能になります。

つまり、オフェンシブ・セキュリティは単なる「防御の補助」ではなく、プレイブックを強化し続けるためのエンジンそのものなのです。

政策・法制度の進化:日本の「Active Cyber Defense法」について

企業のセキュリティ体制を強化するには、個々の組織努力だけでは限界があります。特に国家規模のサイバー攻撃や地政学的リスクを背景とする攻撃に対しては、企業単独で防ぐことは極めて困難です。そのため、近年は各国政府が積極的にサイバー防衛の法制度を整備し、民間と公的機関が連携して脅威に対処する枠組みを拡充しつつあります。

日本において象徴的なのが、2025年5月に成立し2026年に施行予定の 「Active Cyber Defense(ACD)法」 です。この法律は、従来の受動的な監視や事後対応を超えて、一定の条件下で 「事前的・能動的な防御行動」 を取れるようにする点が特徴です。たとえば:

  • 外国から送信される不審な通信のモニタリング
  • 攻撃元とされるサーバーに対する無力化措置(テイクダウンやアクセス遮断)
  • 重要インフラ事業者に対するインシデント報告義務の強化
  • 警察庁や自衛隊と連携した迅速な対応体制

これらは従来の「待ち受け型防御」から一歩踏み込み、国家が主体となってサイバー空間での攻撃を抑止する取り組みと位置づけられています。

もっとも、このような積極的な防御には プライバシー保護や過剰介入の懸念 も伴います。そのためACD法では、司法による事前承認や監視対象の限定といったチェック体制が盛り込まれており、個人の通信を不当に侵害しないバランス設計が試みられています。これは国際的にも注目されており、日本の取り組みは米国やEUにとっても政策的な参照モデルとなり得ます。

このような国家レベルの法制度の進化は、企業にとっても大きな意味を持ちます。プレイブックの整備を進める上で、法制度に適合した対応フローを組み込む必要があるからです。たとえば:

  • 「インシデント発生時に、どのタイミングでどの公的機関に通報するか」
  • 「ACD法に基づく調査要請や介入があった場合の社内プロセス」
  • 「企業内CSIRTと官民連携組織(NISCや警察庁など)との役割分担」

こうした事項を事前に整理し、社内プレイブックに落とし込んでおかなければ、いざ公的機関と連携する場面で混乱が生じます。逆に、プレイブックを法制度と連動させることで、企業は「自社の枠を超えた防御網の一部」として機能できるようになります。

つまり、Active Cyber Defense法は単なる国家戦略ではなく、企業が次世代プレイブックを策定する際の指針であり、外部リソースと連携するための共通ルールでもあるのです。これによって、企業は初めて「国家と一体となったサイバー防衛」の枠組みに参加できると言えるでしょう。

総括:新たなプレイブックに盛り込むべき要素

これまで見てきたように、サイバー脅威の拡大は「人材の疲弊」「AIによる攻撃の高度化」「オフェンシブ・セキュリティの必要性」「国家レベルの法制度との連動」といった多方面の課題を突きつけています。こうした状況の中で、企業が持続的に防御力を高めるためには、新しいサイバーディフェンス・プレイブックが不可欠です。

従来のプレイブックは「インシデントが起きたら誰が対応するか」といった役割分担や基本的な対応手順を示すものに留まりがちでした。しかし、これからのプレイブックは 「人材」「技術」「組織文化」「法制度」まで含めた包括的な防衛戦略書 でなければなりません。具体的には次の要素を盛り込むべきです。

① 人材面での持続可能性

  • バーンアウト対策:インシデント対応の優先順位づけや自動化の導入を明文化し、担当者が全てを抱え込まないようにする。
  • 教育・育成:新人や非技術職でも最低限の対応ができるよう、シナリオ別の演習やガイドラインを整備する。
  • ナレッジ共有:過去の事例や教訓をドキュメント化し、担当者が入れ替わっても組織力が維持できる仕組みを作る。

② AI脅威への明確な対抗策

  • AI検知ルール:生成AIが作成した不審な文章や画像を識別する手順を組み込む。
  • 自動防御の標準化:スパムやマルウェアの一次対応はAIツールに任せ、人間は高度な判断に集中できる体制を作る。
  • 誤情報対策:ディープフェイクによる詐欺やなりすましを想定し、二重承認や本人確認の標準フローを明記する。

③ 攻撃的視点を取り入れる仕組み

  • レッドチーム演習の定期化:攻撃者視点での検証を定期的に実施し、その結果をプレイブックに反映させる。
  • 脆弱性対応の優先順位:発見された弱点をどの順序で修正するか、リスクに応じて基準を明文化する。
  • 学習サイクルの確立:「演習 → 教訓 → プレイブック更新 → 再訓練」という循環を定着させる。

④ 法制度や外部連携の反映

  • 通報・連携プロセス:ACD法などに基づき、どの機関にどの段階で報告すべきかを具体化する。
  • 外部パートナーとの協力:官民連携組織やセキュリティベンダーとの役割分担を明確にする。
  • プライバシー配慮:法令遵守と同時に、顧客や従業員のプライバシーを損なわないようにガイドラインを整える。

⑤ 経営層を巻き込む仕組み

  • CISOとC-Suiteの協働:セキュリティをIT部門の課題に留めず、経営戦略の一部として意思決定に組み込む。
  • 投資判断の明確化:リスクの定量化と、それに基づく投資優先度を経営層が理解できる形で提示する。
  • 危機コミュニケーション:顧客・株主・規制当局への報告フローをあらかじめ定義し、混乱時にも組織全体で統一した対応を取れるようにする。

まとめ

これらの要素を統合したプレイブックは、単なる「マニュアル」ではなく、組織を横断したサイバー防衛の指針となります。人材不足やAI脅威といった時代的課題に正面から対応し、攻撃的な姿勢と法制度の枠組みを融合させることで、企業は初めて「持続可能かつ実効的な防衛力」を手に入れることができます。

言い換えれば、新たなプレイブックとは、セキュリティ部門だけのものではなく、全社的なリスクマネジメントの中心に位置づけるべき経営資産なのです。

おわりに:持続可能なサイバー防衛に向けて

サイバーセキュリティの課題は、もはや特定の技術部門だけで完結する問題ではありません。AIによって攻撃のハードルが下がり、国家レベルのサイバー戦が現実味を帯びるなかで、企業や組織は「自分たちがいつ標的になってもおかしくない」という前提で動かなければならない時代になっています。

そのために必要なのは、一時的な対応策や流行のツールを導入することではなく、人・技術・組織・法制度をつなぐ統合的なフレームワークです。そしてその中心に位置づけられるのが、新しいサイバーディフェンス・プレイブックです。

プレイブックは、疲弊しがちな専門人材の負担を軽減し、AI脅威への具体的な対抗手段を標準化し、さらに攻撃的防御や法制度との連動まで包含することで、組織全体を一枚岩にします。経営層、現場、そして外部パートナーが共通言語を持ち、迅速に意思決定できる仕組みを持つことは、混乱の時代において何よりの強みとなるでしょう。

もちろん、プレイブックは完成して終わりではなく、「生きた文書」として常に更新され続けることが前提です。新たな脅威や技術、政策の変化に応じて柔軟に改訂されてこそ、真の価値を発揮します。逆に言えば、アップデートされないプレイブックは、かえって誤った安心感を与え、組織を危険にさらすリスクにもなり得ます。

いま世界中のセキュリティ戦略家たちが口を揃えて言うのは、「セキュリティはコストではなく競争力である」という考え方です。信頼を維持できる企業は顧客から選ばれ、優秀な人材も集まります。その意味で、プレイブックは単なる危機対応マニュアルではなく、組織の持続的な成長を支える経営資産と言えるでしょう。

次世代のサイバー防衛は、攻撃に怯えることではなく、攻撃を前提に「どう備え、どう立ち直るか」を冷静に定義することから始まります。新しいプレイブックを通じて、組織は初めて「守る」だけでなく「生き残り、信頼を築き続ける」サイバー戦略を持つことができるのです。

参考文献

SharePointに潜む危機:ゼロデイ脆弱性「CVE-2025-53770/53771」の実態と対策

はじめに

2025年7月、MicrosoftのSharePoint Serverに重大なゼロデイ脆弱性が発見され、セキュリティ業界に大きな衝撃を与えました。この脆弱性「CVE-2025-53770/53771」は、単なる技術的な欠陥にとどまらず、組織の機密情報や業務基盤を危険に晒す深刻なリスクを内包しています。

特に注目すべき点は、「認証不要で外部からリモートコード実行が可能」という点です。つまり、パスワードもIDも必要なく、悪意ある第三者がネットワーク越しにSharePointサーバーの内部へ侵入し、任意のプログラムを実行できるという状況です。これはサーバー乗っ取りやランサムウェア感染、情報漏洩といった重大なセキュリティ事故につながりかねません。

実際、この脆弱性はすでに世界各地の組織に対して悪用が確認されており、日本国内の企業や団体も無関係ではありません。金融・政府機関・教育・エネルギーなど、あらゆる業種がターゲットになり得る中、早急な情報共有と対策が求められています。

本記事では、このSharePoint脆弱性の技術的な仕組みと発見の背景、攻撃の具体的な手法、そして被害を防ぐために今すぐ実施すべき対応策まで、体系的に解説していきます。社内のシステム管理者やセキュリティ担当者はもちろん、経営層や情報資産の利用者にとっても重要な内容となるはずです。

本稿を通じて、あなたの組織がサイバー攻撃のリスクに対してどのように備えるべきかを再確認し、実践的な防御行動につなげることを目指します。今この瞬間にも、SharePointを標的とした攻撃は進行しているかもしれません。対岸の火事と捉えず、自組織の防御力を高める契機としてください。

脆弱性の概要

今回発見された脆弱性は、Microsoft SharePoint Serverに存在する認証回避およびリモートコード実行(Remote Code Execution, RCE)の欠陥で、脆弱性識別番号は以下のとおりです:

  • CVE-2025-53770:認証なしで任意コード実行が可能な致命的な脆弱性(CVSSスコア:9.8/10.0
  • CVE-2025-53771:関連するセキュリティ機構をバイパスする補助的な脆弱性

この脆弱性は、SharePointが内部的に使用する「ViewState」というシリアライズされたデータの取り扱いに起因しています。ViewStateはASP.NETアプリケーションにおいて、サーバーとクライアント間の状態管理を行うために用いられますが、その検証・復号処理において暗号鍵(MachineKey)を利用している点が悪用の起点となっています。

特徴的な点:

  • 認証不要で攻撃が可能:攻撃者はユーザー認証を経ることなく、直接SharePointの内部機能にアクセスできます。
  • リモートからの完全なコード実行:悪意のあるViewStateデータを送るだけで、任意のコマンドを実行できる状態になります。
  • 持続的な侵害が可能:一度MachineKeyを入手されると、正規の通信に偽装した攻撃が継続的に可能になります。
  • 被害が検知しづらい:一見正当なHTTPリクエストを装っており、従来のセキュリティ機構では検出が困難です。

これらの脆弱性は、2025年初頭に報告されたPwn2Ownコンテストで発見された「CVE-2025-49704/49706」に対するMicrosoftのパッチを巧妙に回避する形で出現したバリアントであり、「一度修正されたはずの問題が再燃した」という点でもセキュリティの難しさを象徴しています。

特に脅威となっているのは、オンプレミスで運用されているSharePoint Server環境です。クラウド版のMicrosoft 365環境はマイクロソフトによって自動保護される可能性がありますが、オンプレミス環境ではユーザー組織自身がパッチの適用や対策を担わなければなりません。

さらに、SharePointは単体で動作する製品ではなく、社内のドキュメント管理、ワークフロー、イントラネット、業務アプリケーション連携など、非常に多くの機密情報が集約されている基幹システムであるため、攻撃が成功した場合の被害範囲は極めて広範です。

このような理由から、今回の脆弱性は単なる技術的な問題ではなく、情報漏洩・業務停止・サプライチェーン攻撃に直結する重大インシデントとして、迅速かつ組織的な対応が求められています。

発見の経緯と背景

この脆弱性の根底にあるのは、2025年初頭に開催された著名なハッキングコンテスト「Pwn2Own Berlin 2025」での報告です。ここでセキュリティ研究者が、Microsoft SharePoint Serverに対してシリアライズの不備を突いたリモートコード実行攻撃を成功させ、「CVE-2025-49704」と「CVE-2025-49706」という脆弱性が認定されました。Microsoftはこれを受けて、数週間以内に緊急のセキュリティパッチをリリースし、問題は一旦「解決した」と見られていました。

しかし、事態はそれで収束しませんでした。複数の攻撃グループがこの修正に目をつけ、パッチの動作や保護ロジックを逆解析することで、回避手法(バイパス)を開発したのです。その結果、2025年7月中旬、まったく同じ脆弱性チェーンに対して新たに認定された「CVE-2025-53770」と「CVE-2025-53771」が明らかになりました。

つまり、本脆弱性は「完全な新種」というよりも、“パッチをかいくぐる新たな攻撃変種(バリアント)”である点が重要です。このような「パッチバイパス型ゼロデイ」は、修正されたはずの問題が再び表面化するため、組織としての油断を誘いやすく、特に危険です。

なぜSharePointが狙われるのか?

Microsoft SharePointは、多くの企業・行政機関において文書管理、ワークフロー、ナレッジ共有、グループウェアの中核を担うプラットフォームです。その性質上、以下のような特徴を持っています:

  • 高い情報集積性:業務上の文書、顧客情報、社内マニュアルなど、機密情報が集中して保存されている。
  • 可用性重視の運用:停止を避けるため、パッチ適用が後回しになりがち。
  • 独自カスタマイズの多さ:多くの企業で独自の拡張や外部連携がされており、脆弱性の影響範囲が広がりやすい。

さらに、多くの組織でオンプレミス環境が残っており、クラウド型のMicrosoft 365と異なり、自社でのパッチ運用や構成管理が必要なため、攻撃者にとっては格好のターゲットとなっているのです。

攻撃の兆候が現れるまで

脆弱性の存在は、セキュリティ研究者やベンダーによって一部で注視されていましたが、実際に攻撃キャンペーンが活発化したのは2025年7月中旬。CrowdStrikeやPalo Alto Networks、Rapid7などのセキュリティベンダーがほぼ同時に実環境でのゼロデイ悪用の兆候を検知し、緊急アラートを発出しました。

中でもCrowdStrikeは、実際のマルウェア配布活動の中でSharePointへの侵入経路としてこの脆弱性が利用されていた事実を確認。それにより、本脆弱性は単なる概念実証(PoC)ではなく、リアルな攻撃キャンペーンの一部として“現場投入”されていることが裏付けられたのです。

このように、一度は塞がれたはずの入口が、別の鍵で再び開けられた形となっている現在、SharePointを運用するあらゆる組織が再点検を迫られているのが現状です。

攻撃の手法

今回の脆弱性「CVE-2025-53770/53771」を悪用した攻撃は、単一の技術的欠陥というよりも、複数の手口を組み合わせた“攻撃チェーン”として成立しています。ここでは、攻撃者がどのようなステップでSharePointサーバーを侵害し、持続的なアクセスを獲得するかを段階的に解説します。

ステップ1:認証バイパスによる不正アクセス

攻撃者はまず、/layouts/15/ToolPane.aspx というSharePoint内の特殊なエンドポイントに対して、細工されたHTTPリクエストを送信します。このリクエストには偽の Referer ヘッダー(例:/_layouts/SignOut.aspx)が含まれており、これによってSharePoint側の処理フローが意図せず短絡され、認証を通らずに内部機能へアクセスできてしまうのです。

この時点で、攻撃者は“匿名のまま”SharePointアプリケーションの一部に踏み込んでいます。

ステップ2:Webシェル(ASPXファイル)のアップロード

次に、攻撃者は ToolPane.aspx のバグを利用して、任意のASPXファイル(=Webシェル)をSharePoint内にアップロードします。実際の攻撃事例では spinstall0.aspx という名称の悪意あるファイルが使用されました。

このファイルは一見すると正当な構成ファイルに見えますが、その内部ではPowerShellやコマンドプロンプトを介した命令実行機能が埋め込まれており、後続のステップで利用されます。

ステップ3:暗号鍵(MachineKey)の取得

ASPXファイルを実行することで、SharePointが内部的に保持するMachineKey(ValidationKey / DecryptionKey)をメモリや設定ファイルから抽出します。

この暗号鍵は、.NETアプリケーションがViewStateなどのシリアライズデータを暗号化・検証するために使われているもので、これを奪われると攻撃者は正当なシステムユーザーを偽装してViewStateを生成できるようになります。

この時点で、攻撃者はまるで「マスターキー」を手に入れた状態になります。

ステップ4:偽造ViewStateによる任意コード実行

奪取したMachineKeyをもとに、攻撃者は ysoserial.net などのツールを使って任意のコマンドを含んだViewStateデータを生成します。通常、このようなデータは改ざんされていればエラーとなるはずですが、すでに正規の鍵を持っているため、サーバー側は問題なく処理してしまいます。

これにより、以下のようなコマンドをSharePointサーバーで実行可能になります:

  • ファイルのダウンロードやアップロード
  • 新たなWebシェルの設置
  • 追加のアカウント作成
  • 外部C2サーバーとの通信開始

実質的に、サーバーは完全に乗っ取られた状態になります。

ステップ5:持続的アクセスとステルス化

最終段階では、攻撃者はサーバー上にバックドアを設置したり、Windowsのタスクスケジューラやサービス機構を悪用して永続的なアクセス経路を確保します。

さらに、侵入を隠すためにログを改ざんしたり、WAFやEDRを回避するような通信方式に切り替えるなどのステルス化技術も用いられる場合があります。

攻撃チェーンのまとめ

[1] 認証不要の不正リクエスト送信
       ↓
[2] Webシェル(ASPXファイル)のアップロード
       ↓
[3] 暗号鍵(MachineKey)の取得
       ↓
[4] 偽造ViewStateの送信と任意コード実行
       ↓
[5] バックドア設置と持続的侵害

なぜ検知が難しいのか?

この攻撃チェーンの厄介な点は、全体の流れがあたかも正当なASP.NET処理に見えることです。たとえば、ToolPane.aspxへのPOSTリクエストや、ViewStateを含むHTTPレスポンスは通常のSharePoint動作にも存在するため、境界型のセキュリティ(WAFなど)では見逃されがちです。

また、PowerShellやcmdの実行は「システム管理者が実施した操作」として誤認されることもあり、EDRを使っていても検出や調査が遅れるリスクがあります。

実際の被害事例における特徴

  • w3wp.exe(IISのプロセス)から cmd.exe、さらに powershell.exe へのプロセス連携が発生している
  • SharePointのログに、同一IPから異常に多くのViewState関連リクエストが記録されている
  • spinstall0.aspx のような見慣れないファイルが SharePoint の一時ディレクトリに存在している

これらの兆候に少しでも心当たりがある場合は、すでに侵害されている可能性が高いと考え、即座に調査・対応を行う必要があります。


このように、今回の攻撃は非常に緻密に設計されており、しかも既知の構造を利用しているため、既存のセキュリティ対策をすり抜けやすいという点が最大の脅威です。単なる“穴”ではなく、“正規の扉を偽鍵で開けてくる”ようなイメージで捉えるべきでしょう。

被害状況と対象範囲

今回のSharePointゼロデイ脆弱性「CVE-2025-53770/53771」は、すでに実際の攻撃キャンペーンに利用されており、世界中で被害が拡大しています。従来の脆弱性と異なり、検出が難しく、企業・団体側が侵害を受けていることに気づかないまま、水面下で情報流出やバックドア設置が進行している可能性が高いのが大きな特徴です。

想定される被害の内容

この脆弱性が悪用された場合、以下のような被害が発生するおそれがあります:

  • 情報漏洩:SharePoint上に保管された機密文書・契約書・設計資料・顧客情報などの大量流出
  • 業務システムの改ざん・停止:ワークフローや業務アプリケーションに不正アクセスが行われ、業務プロセスが中断
  • 社内ネットワークへの横展開(ラテラルムーブメント):SharePointサーバーを足掛かりに他のシステムへの侵入
  • ランサムウェア感染やC2通信の開始:外部サーバーと不正通信を確立し、身代金要求や継続的スパイ活動を行う
  • 信用失墜・訴訟リスク:顧客情報やパートナーとの契約書が漏洩した場合、社会的信用の喪失や法的責任が問われる

特に、SharePointは業務のハブとして様々なシステムやユーザーと連携しているため、単なる1サーバーの侵害にとどまらない影響範囲の広さが懸念されます。

実際に確認されている攻撃キャンペーン

CrowdStrikeやPalo Alto Networksなどのセキュリティベンダーは、2025年7月中旬以降、複数の組織でこの脆弱性を利用した攻撃の痕跡を確認したと報告しています。具体的には、以下のような業種・組織が被害を受けたとされます:

  • 金融機関(国内外の大手銀行、保険会社など)
  • 製造業・エネルギー企業(インフラ関連、海外プラント事業)
  • 教育機関・大学(研究データや個人情報が集中する環境)
  • 政府・自治体・公共団体(文書共有や決裁フローにSharePointを利用)
  • 医療機関・ヘルスケア(電子カルテや医療ドキュメント連携)

特に、政府系・金融系・研究機関といった、国家的に重要なデータを保持しているセクターが標的になっている点は、高度標的型攻撃(APT)との関連も示唆されています。

また、攻撃者グループによっては、これらの侵害を初期アクセスとして利用し、後続のランサムウェア展開や情報収集活動へとつなげているケースも確認されています。

対象範囲:影響を受けるSharePointバージョン

この脆弱性の影響を受ける主な製品は以下のとおりです:

製品バージョン対象パッチの提供状況(2025年7月現在)
SharePoint Server 2016✅ 対象❌ パッチ未提供
SharePoint Server 2019✅ 対象✅ KB5002754 が提供済み
SharePoint Server Subscription Edition✅ 対象✅ KB5002768 が提供済み
SharePoint Online(Microsoft 365)❌ 非対象クラウドで保護されており問題なし

特に注意すべきは、SharePoint Server 2016環境です。パッチ未提供の状態が続いており、かつ利用ユーザー数も多いため、“攻撃者にとって最も効率的な標的”となっている可能性が高いと見られます。

侵害が疑われる兆候(IOC)

  • ToolPane.aspx への不審なPOSTリクエスト(Referer: SignOut.aspx)
  • spinstall0.aspx など未知のASPXファイルがディレクトリ内に存在
  • w3wp.exe → cmd.exe → powershell.exe のプロセスチェーン
  • 異常に大きなViewStateや不正なシリアライズデータの送受信ログ

これらの兆候がシステムログやEDR、WAF、SIEMに記録されている場合は、すでに侵害を受けている可能性を強く疑うべきです。

なぜこの被害は広がったのか?

  • 認証が不要なため防御線が最初から無効
  • 従来のWAFやアンチウイルスでは検出困難
  • 多くの企業でパッチ適用が遅れがち
  • システム管理者が異常に気づきにくい攻撃手法
  • 攻撃グループ間でツールが共有・拡散されている

こうした要因が重なった結果、攻撃者にとって非常に“使いやすいゼロデイ”として拡散し、攻撃規模は今なお拡大し続けているのが現状です。

緊急対応策

今回の脆弱性「CVE-2025-53770/53771」は、既に実際の攻撃で悪用されているゼロデイ脆弱性であるため、「様子を見る」という選択肢は存在しません。SharePoint Serverを運用している組織は、すぐにでも以下の緊急対応策を検討・実施する必要があります。

ここでは、対応の優先度ごとに段階的なアクションを整理して紹介します。

1. パッチの適用(最優先)

まず最優先で実施すべきは、Microsoftが提供している公式セキュリティパッチの適用です。今回の脆弱性に対して、以下のバージョン向けに修正プログラムが提供されています:

製品バージョン対応パッチ公開日備考
SharePoint Server Subscription EditionKB50027682025年7月中旬修正済み
SharePoint Server 2019KB50027542025年7月中旬修正済み
SharePoint Server 2016未提供(2025年7月現在)回避策の検討が必要

✅ 実施ポイント

  • 影響のあるバージョンを特定し、できる限り速やかにパッチを適用する。
  • パッチ適用前には、バックアップ取得とステージング環境での事前検証を推奨。
  • 複数ノード構成の場合はローリングアップデートで対応可能。

※ 2025年7月現在、SharePoint Server 2016にはまだパッチが提供されていないため、以下の緩和策を必ず併用してください。

2. 緩和策の導入(パッチ未適用環境・追加保護)

パッチが適用できない環境や、より強固なセキュリティ対策を希望する場合には、以下の緩和策が推奨されます:

🔧 AMSI(Antimalware Scan Interface)の有効化

  • Windowsに標準搭載されているAMSIを有効にすることで、不正なPowerShell実行などのコード実行を検知・阻止可能。
  • Microsoft Defender Antivirus などのAMSI対応ソリューションと組み合わせると効果的。

🔐 MachineKeyのローテーション

  • ViewState改ざんを可能にする鍵(ValidationKey/DecryptionKey)を再生成・再配置する。
  • 攻撃者に鍵を奪取された可能性がある場合、速やかな更新が必須。

🌐 公開サーバーの隔離

  • インターネットに直接公開されているSharePoint環境については、一時的にアクセスを制限または遮断し、脆弱性が解消されるまで閉鎖も検討。

⚠️ Webアクセスの制御

  • ToolPane.aspx やその他の怪しいエンドポイントへのアクセスを IISのIP制限やWAFで制御
  • spinstall0.aspx など不審なファイル名のリクエストログがないかを定期監視。

3. 侵害の有無を調査(被害の可能性がある場合)

SharePoint Serverが既に攻撃されている可能性があると疑われる場合は、以下のインシデント対応フローに従い、迅速な内部調査を実施してください:

🔍 ログの確認

  • ToolPane.aspx への不審なPOSTリクエストの有無
  • Referer: /_layouts/SignOut.aspx を伴うアクセス
  • spinstall0.aspx 等のアップロード痕跡

🔗 プロセス連携の追跡

  • w3wp.exe → cmd.exe → powershell.exe というプロセスチェーンが実行されていないかをEDRやログで確認。

📁 ファイル改ざんの有無

  • Webルート配下に不審な .aspx ファイルが存在しないかチェック。
  • ファイル改変日時の急変や、予期せぬスクリプトの混入にも注意。

4. 持続的防御の構築(再発防止)

今回の脆弱性は、技術的な修正にとどまらず、組織のセキュリティ体制そのものの見直しを迫る内容です。以下のような対策を中長期的に講じることが望まれます:

🧰 セキュリティ製品の見直し

  • EDR/XDR(例:CrowdStrike Falcon, Microsoft Defender for Endpoint)の導入
  • WAF(Web Application Firewall)のチューニングと監視強化

🔄 セキュリティ運用体制の強化

  • 脆弱性管理の定期サイクル化
  • パッチ適用のSLA(サービスレベル合意)策定
  • 変更管理と構成管理(CMDB)の整備

🧪 脅威エミュレーションやペネトレーションテストの実施

  • Red Team/Blue Team演習を通じて実戦的な防御体制を検証・改善

5. 関係者・組織への報告・連携

  • システム担当者だけでなく、CIO/CISO/経営層への報告を速やかに実施
  • 関連するベンダーやクラウド連携先とも脆弱性共有と対応状況の確認
  • 必要に応じてIPA/JPCERT/MSRCなどへインシデント報告

✅ 対応チェックリスト(簡易まとめ)

対策項目実施状況
公式パッチの適用☐ 実施済/☐ 未実施
MachineKeyの再生成☐ 実施済/☐ 未実施
AMSI・Defender有効化☐ 実施済/☐ 未実施
ToolPaneへのアクセス制御☐ 実施済/☐ 未実施
不審なログ・ファイルの調査☐ 実施済/☐ 未実施
関係者への状況共有☐ 実施済/☐ 未実施

脆弱性に対する防御は「待つ」のではなく、「動く」ことが肝心です。特にオンプレミス環境においては、クラウドサービスと異なり自らが最後の砦となる意識が必要です。今すぐ対応を開始し、被害拡大を防ぎましょう。

検出とモニタリングのポイント

今回のSharePointゼロデイ脆弱性(CVE-2025-53770/53771)は、表面的には正常な通信に見えるという点が大きな特徴です。従来のシグネチャベースのセキュリティ製品では検出が難しく、実際に多くの組織が侵害に気づかず長期間放置していた可能性があります。

そのため、組織としては「攻撃を未然に防ぐ」ことと同時に、侵害の兆候をいかに早く検出するかが極めて重要です。本章では、システム管理者やSOC(セキュリティオペレーションセンター)が注視すべき具体的な検出ポイントを紹介します。

1. 不審なリクエストの監視

攻撃は、通常のHTTPリクエストを装って開始されます。特に注目すべきなのは、以下のようなリクエストパターンです:

  • エンドポイント:/layouts/15/ToolPane.aspx への POST リクエスト
  • Referer ヘッダー:/_layouts/SignOut.aspx が含まれている
  • User-Agent が PowerShell/curl/Python スクリプトのような自動化ツールになっている場合

これらは、SharePointの通常運用ではあまり見られないアクセスであり、異常挙動として検出・アラート化すべきです。

2. Webシェルの展開検知

多くの攻撃事例で、spinstall0.aspx などの悪意あるASPXファイル(Webシェル)がSharePointのフォルダ内に設置されていました。検出の観点では以下のような点を重点的に確認します:

  • /layouts/15/ 以下や一時ディレクトリに .aspx ファイルが新規追加されていないか
  • ファイル名に “install”、”shell”、”cmd”、”debug” といったキーワードが含まれていないか
  • ファイルのアップロード日時が業務時間外や深夜帯に集中していないか

ファイル整合性監視(FIM)やファイルアクセス監査ログの活用が有効です。

3. プロセス連携(プロセスチェーン)の分析

攻撃が成功すると、SharePointのWebアプリケーションプロセス(w3wp.exe)から以下のようなプロセス連鎖が発生します:

w3wp.exe → cmd.exe → powershell.exe

この連携は通常のSharePoint動作では極めて異常であり、EDR(Endpoint Detection & Response)やSysmonを用いたプロセス監視で即時検知可能です。

さらに:

  • PowerShellで「Base64デコードされたコマンド」が実行されていないか
  • 外部C2(Command & Control)への接続試行(TCP/443やDNSトンネリングなど)がないか

といったビヘイビア分析(ふるまい検知)が効果を発揮します。

4. ViewState改ざんの兆候

本脆弱性は、.NETアプリケーションのViewStateを悪用したペイロード注入によって任意コードが実行されます。ViewStateは通常、暗号化された長い文字列としてHTTPリクエストまたはレスポンスに含まれますが、以下の点に注目することで不正使用を検出できる可能性があります:

  • ViewStateが異常に大きい(数KB以上)
  • 過去の通信と比較して長さや形式が不自然に変化している
  • アクセス頻度が急激に増加している

一部のWAFやSIEMで、ViewState長の閾値をアラート化するルールを組むことで検知精度を向上させられます。

5. エンドポイントログと統合ログ分析(SIEM)

EDRやWAF単体では見落とす可能性があるため、複数のログソースを相関分析するSIEM(例:Splunk, Azure Sentinel, QRadar) の導入・活用が強く推奨されます。組み合わせるべき主なログは:

  • IISアクセスログ(不審なエンドポイント/POSTリクエストの確認)
  • SharePoint ULSログ(ViewState処理やファイル操作の異常)
  • Windowsイベントログ(プロセス生成やPowerShellの使用履歴)
  • EDRアラートログ(スクリプト実行、レジストリ操作、不審な通信)

これらを日・週単位でレポート出力し、平常時との乖離を定点観測することで、初期侵害の兆候を早期に把握できます。

6. IOC(Indicators of Compromise)の活用

各セキュリティベンダー(Trend Micro、CrowdStrike、Palo Alto等)は、攻撃に関連する**IOC(侵害指標)**を公開しています。以下のようなIOCを照合することで、既に攻撃を受けていないかを確認可能です:

  • 悪意あるASPXファイルのハッシュ値(SHA256)
  • 外部C2サーバーのIPアドレス/ドメイン名
  • PowerShellコマンドの断片やBase64文字列パターン

IOCは定期的に更新されるため、最新の情報を入手し、内部ログと照合するルールを自動化する仕組みがあると理想的です。

まとめ:検知は「人+仕組み」の両輪で

この脆弱性のように、通常の通信フローに巧妙に溶け込むタイプの攻撃に対しては、「自動検知に100%依存する」ことはリスクを伴います。日々の行動ベースの異常検知(UEBA)や、SOCメンバーの目視による定期的なログレビューも有効です。

「脆弱性は0dayでも、異常な挙動は隠せない」

この考え方を軸に、多層的かつ継続的なモニタリング体制を整備することが、侵害リスクの最小化につながります。

今後の展望と教訓

今回のSharePointにおけるゼロデイ脆弱性(CVE-2025-53770/53771)は、単なる「一製品のバグ」ではなく、現代のITインフラ全体が抱える構造的な脆弱性と、セキュリティ運用上の課題を浮き彫りにした事例といえます。今後、同様のリスクを回避するためには、技術的な対応だけでなく、組織的・文化的な観点からも教訓を整理し、次なる備えへと昇華させていくことが重要です。

1. パッチ適用だけでは守れない時代

多くの組織では、「パッチを当てれば安全」という考えが未だに根強く残っています。しかし今回のケースでは、既存のパッチ(CVE-2025-49704/49706)が攻撃者にバイパスされた結果、再び脆弱性が露呈したという構図になっています。

つまり、単にベンダーの修正を待つだけでは攻撃のスピードに追いつけません。これからの時代は以下が求められます:

  • 構成レベルでの防御策(Defense-in-Depth)の導入
  • 脆弱性の「周辺構造」への理解と運用設計
  • パッチ適用の高速化だけでなく、適用後の検証プロセスの定着

2. オンプレミス環境の“サイレントリスク”

クラウドシフトが進む一方で、今回被害に遭ったのは主にオンプレミス環境のSharePointでした。クラウドであれば、Microsoft側が脆弱性の検知や自動修正を行うことも期待できますが、オンプレミスでは全ての責任が利用者側にあるため、対応の遅れが命取りになります。

とくに問題なのは以下のような組織文化です:

  • 「重要システムなのでパッチ適用を遅らせている」
  • 「影響調査に時間がかかるので、毎月のセキュリティ更新が後手に回っている」
  • 「システムベンダーに任せているので中身は見ていない」

これらは一見合理的に思えても、ゼロデイ攻撃という“例外事象”の前では重大なリスクファクターとなります。

3. セキュリティ運用体制そのものの再構築

今回の脆弱性を契機として、以下のような中長期的な体制強化が求められます:

  • セキュリティの責任を“IT部門だけ”に閉じない(経営層・利用部門・ベンダー間での明確な役割分担)
  • 脆弱性管理の自動化と可視化(資産管理+脆弱性スキャンの継続的統合)
  • SOC(セキュリティ運用センター)機能の内製化・外部委託による監視体制の確立
  • CIS ControlsやNIST CSFなど国際基準に基づいたフレームワークの適用

また、「セキュリティ対策はコスト」ではなく「事業継続の前提」として再認識することが、経営レベルでの合意形成につながります。

4. 人材・文化・スピードのギャップ

サイバー攻撃は日々進化していますが、それに追従できる人材と運用文化が不足しているという現実があります。

  • セキュリティ担当者が“1人しかいない”
  • スクリプトやログ分析ができる人材が社内にいない
  • インシデントが発生しても対応フローが曖昧で時間がかかる

こうしたギャップを埋めるためには、次のような取り組みが有効です:

  • 社内のIT教育の強化:セキュリティは専門職だけの仕事ではないという意識付け
  • インシデント演習の定期実施:実戦想定での初動確認
  • 自動化ツールの活用:人的リソースに依存しない初期対応体制の構築

5. 「透明性」と「信頼」が企業価値を左右する時代へ

もし万が一、今回のような脆弱性を突かれて情報漏洩や侵害が起きてしまった場合、どのように対外的に説明・報告するかも企業の信頼を大きく左右します。

  • 被害の公表を遅らせる
  • 不正アクセスの可能性を過小評価する
  • 技術的な説明や再発防止策が曖昧

こうした対応は、顧客・取引先・社会からの信用を大きく損ねる可能性があります。逆に言えば、「迅速かつ透明な説明」「誠実な対応」「技術的裏付けのある改善策」を示せれば、危機を信頼強化のチャンスに変えることすら可能です。

おわりに

本記事では、Microsoft SharePoint Serverに発見された深刻なゼロデイ脆弱性「CVE-2025-53770/53771」について、技術的な仕組みから実際の攻撃手法、被害の広がり、緊急対応策、そして今後の教訓までを包括的に解説してきました。

この脆弱性が私たちに突きつけた現実は明白です。それは、「セキュリティ対策は製品アップデートだけでは不十分であり、継続的な運用と組織の覚悟が不可欠である」ということです。しかも今回のように、すでに修正されたはずの脆弱性のバリアントが再び実戦投入されるようなケースでは、技術的な優位性だけでは防ぎきれない部分もあることを認識する必要があります。

特にSharePointのような、業務の中核を支えるプラットフォームに対する攻撃は、単なる「情報システムの不具合」では済まされません。業務の停滞、取引先への信頼失墜、個人情報保護違反による制裁など、企業活動そのものに重大な影響を及ぼすリスクをはらんでいます。

したがって、本脆弱性の教訓は次のように総括できます:

  • ITインフラの構成を理解し、脆弱性の影響範囲を即時に把握できる体制を整えること
  • パッチ適用や鍵の更新といった技術的対応を“例外”ではなく“習慣”として定着させること
  • 日々のモニタリングやログ分析を継続的に行い、小さな異常に気づける目を育てること
  • セキュリティ対応を“コスト”ではなく“信用維持の投資”と捉える組織文化を築くこと

また、今回の件を「一時的な出来事」として流してしまえば、次のゼロデイ攻撃にまた同じように無防備な状態で晒されることになりかねません。むしろこれを契機に、社内のセキュリティ運用を一段階引き上げるチャンスと捉えることが、真にリスクを最小化する道だと言えるでしょう。

セキュリティは「完璧」を求めるのではなく、「進化し続ける」ことが重要です。攻撃者が進化する以上、私たちの守りもまた日々アップデートされ続けなければなりません。

最後に、この記事をきっかけに、1人でも多くの管理者・開発者・経営者が「自組織の守りは十分か?」と問い直し、必要なアクションを一歩踏み出していただければ幸いです。

📚 参考文献

IIJ「セキュアMXサービス」不正アクセスによる個人情報漏洩:詳細レポートと教訓

個人情報漏洩の経緯

2024年8月3日、IIJ(株式会社インターネットイニシアティブ)の法人向けクラウドメールセキュリティサービス「IIJセキュアMXサービス」の内部で、異変が始まっていました。このとき、サービスの一部環境において、攻撃者による不正なプログラムが設置され、長期にわたって稼働し続けていたのです。しかし、この兆候はセキュリティ監視体制において検知されることなく、組織の誰の目にも留まらないまま時間が過ぎていきました。

IIJは、国内有数のインターネットサービスプロバイダであり、長年にわたり法人向けインフラサービスを提供してきた実績を持ちます。とりわけ「セキュアMXサービス」は、企業や自治体が導入する信頼性の高いメールセキュリティソリューションとして知られていました。しかし、攻撃者はその信頼の裏をかくように、第三者製メールソフトウェア「Active! mail」に存在したゼロデイ脆弱性を突き、IIJのサービスインフラを侵害することに成功したとみられています。

事態が表面化したのは、2025年4月10日。IIJの運用チームが、通常とは異なるログ挙動や内部アクセスの異常に気付き、調査を開始します。翌週の4月15日、同社は緊急のプレスリリースを発表し、「最大で6,493契約・約407万件に影響する可能性がある」と発表しました。この時点ではまだ被害の全容が不明で、調査の初期段階であったことから、あくまで“最悪のケースを想定した上限値”として報告されました。

調査は急ピッチで進められ、4月18日には、攻撃に利用された脆弱性が「Active! mail」のバッファオーバーフローであることが特定されました。この脆弱性は、IPAおよびJVN(Japan Vulnerability Notes)に「JVN#22348866」として緊急登録され、各事業者に即時の対処が促されることになります。IIJもこの報告を受けて、該当コンポーネントの緊急置き換えと防御体制の強化に着手しました。

さらに4月22日、調査結果の第2報が発表され、当初想定よりも被害が限定的であることが判明しました。実際に漏洩が確認されたのは、132契約(311,288メールアカウント)であり、うち6契約ではメール本文やヘッダー情報、488契約では連携するクラウドサービス(Microsoft 365やGoogle Workspace等)の認証情報が含まれていたことが確認されました。この時点でIIJは影響を受けたすべての契約者に個別通知を行い、パスワードの強制リセットとアクセス制限などの措置を実施します。

問題はそれだけに留まりませんでした。この不正アクセスは、発生から検知までに8カ月以上を要したこと、そして被害規模が法人契約の範囲に及ぶ点から、社会的に大きなインパクトを持つこととなります。2025年5月13日に開催されたIIJの決算説明会では、谷脇社長自らが記者会見に登壇し、事件の経緯と再発防止への取り組みを説明しました。特に「検知までに時間がかかった要因」として、従来の防御モデルに依存しすぎていた点、可視化の弱さ、脆弱性の管理不備などが語られ、社内のセキュリティガバナンスが見直される契機となったことが述べられました。

以降、IIJは大規模な再発防止策を打ち出します。6月下旬までに、Webアプリケーションファイアウォール(WAF)の多層化、振る舞い検知型のセキュリティ機構(EDR的要素)などを導入。また、情報開示の透明性を保つため、更新された情報はすべて公式Webサイトで随時公開される体制に移行しました。

そして2025年7月18日、総務省より本件に対する正式な行政指導が下され、IIJはその内容を受け入れるとともに、再発防止に向けた「社長直轄のプロジェクト体制」を発足させたことを公表しました。これにより、単なるサービス単位での修正にとどまらず、会社全体のセキュリティ意識と体制を抜本的に見直す取り組みが始まったのです。

2025年 日本国内・国外の個人情報漏洩・漏洩疑い事例

以下は、日本国内の2025年における「不正アクセス」「誤操作/設定ミス」「内部不正」による漏洩・疑いの全事例を集めた表です。

日付組織/企業 漏洩件数原因カテゴリ備考・詳細
2025/03/12-03/13日本マクドナルド8,989件設定ミス・誤送信メール配信システムミス 
2025/03/19神戸須磨シーワールド12,931件設定ミスWebシステム設定ミス 
2025/04/16みずほ信託銀行2,472人+246社誤送信 (委託含む)メール誤送信 
2025/03/03おやつカンパニー約170,000件+450件不正アクセスキャンペーン応募データ 
2025/02/06NTTコミュニケーションズ17,891社分不正アクセス設備侵害 
2025/02/22-02/27徳島県教育委員会約140万件不正アクセスサーバー不審メール発出 
2025/04/05-05/28柏崎青果1,198件不正アクセスECサイト侵入 
2025/05/23マリンオープンイノベーション機構1,455件USB紛失紙媒体/USB紛失 
2025/02/28-03/10三菱地所ホテルズ&リゾーツ非公表設定ミス/システム運用予約者データ
2025/06/24ぴあ非公表設定ミス/システム運用顧客情報
2025/04/28クミアイ化学非公表設定ミス/システム運用社員情報
2025/06/12タイヨー9件設定ミス/誤操作イベント参加者

2025年以前発生していて、報告が2025年に行われている事例もありました。また、漏洩していることや漏洩している可能性があることを運営側が検知できず、後の定期的なセキュリティ診断によって発覚したり、利用者からの問い合わせによって発覚したりするケースも散見されました。

また、半導体産業、自動車産業などの軍事転用可能な企業や、銀行、証券、保険などの金銭目的の企業ではなく、さまざまな業種で起きているということも注目すべき点です。

個人情報漏洩事例から見えてくる問題点や課題

2025年に発生・報告された情報漏洩に関する各事例からは、情報セキュリティにおけるいくつかの共通した課題が見えてきます。こうした課題は、単一の技術的要因に起因するものではなく、運用や体制、組織の設計方針にまで広く関係しており、包括的な見直しの必要性が浮き彫りになっています。

まず一つ目の課題は、脆弱性の管理と検知体制の遅れです。特に外部製品やサービスを組み込んだシステムにおいては、当該ソフトウェアのセキュリティ更新やリスク把握が後手に回るケースが少なくありません。今回公表されたIIJのセキュアMXサービスでは、メール閲覧用ソフトウェアに内在していた脆弱性が長期間にわたり悪用されていた可能性があり、結果として複数の契約先のメールアカウントや認証情報が外部に漏洩したとされています。このような事態は、既知の脆弱性に迅速に対応する体制や、ゼロデイ攻撃に備えた振る舞い検知の導入などが十分でなかったことを示唆しています。

二つ目の課題は、人為的ミスの継続的な発生です。2025年に報告された情報漏洩事例の中には、メールの誤送信やWebシステムの設定ミスに起因するものも複数含まれていました。これらは高度な技術を要する攻撃によるものではなく、組織内の運用プロセスや確認手順の甘さから発生しています。たとえば、誤送信防止の機構や二重確認の運用ルールが適切に整備されていれば防げた事例も少なくありません。こうした背景から、セキュリティ対策は技術面だけでなく、業務設計や日常運用の中に組み込まれている必要があります。

三つ目は、委託先や外部サービスに関するセキュリティ管理の不十分さです。多くの企業や団体がクラウドベースのサービスや外部委託業者の技術に依存している現在、その利用形態に応じたリスク評価と監視が求められています。たとえば、IIJのようなサービス提供事業者が被害を受けた場合、その影響は直接の契約者を越えて二次的・三次的に波及する可能性があります。利用者自身がサービス提供元のセキュリティ状況を継続的に確認し、リスクベースで利用範囲を見直すといった姿勢も必要です。

四つ目として挙げられるのは、インシデント発生時の初動対応と情報開示のあり方です。情報の開示が遅れた場合、関係者の対応が後手に回り、影響が拡大する恐れがあります。2025年に報告された複数の事例において、調査結果の確定に時間を要したことや、影響範囲の特定に段階的な発表がなされたことが、ユーザー側の混乱を招く一因となりました。もちろん、正確な情報を提供するには慎重な調査が必要ですが、並行して適切な段階的説明や予防的対応の提案がなされることが望まれます。

五つ目として挙げられるのは、あらゆる業種・業界が狙われるという点です。半導体業界や自動車業界のように軍事転用可能な技術を奪うことを目的とした不正アクセスや金銭目的で銀行、証券、保険といった金融関連尾企業を狙うことがよく報道されていますが、個人情報を盗むという点においては、業態に関わらず脆弱な企業や団体を狙っていることがわかります。また、単一のシステムでは個人情報として十分でなくとも、複数のシステムの情報を組み合わせることで個人情報または個人情報相当の情報になる場合もあるため、自分のところのシステムはそれほど重要な情報を扱っていないから大丈夫と安易に考えず、常にセキュリティ対策の意識を持つことが大切です。

これらの課題は、特定の組織や業種に限定されたものではなく、情報を扱うあらゆる業務に共通するものです。そして、多くの課題は、技術、運用、体制のいずれか一つでは対応しきれず、三者を連動させた取り組みが不可欠です。次章では、それぞれの観点からどのような対策が求められるかを考察します。

対策:技術・体制・運用の三位一体アプローチ

2025年に報告された複数の情報漏洩事例を通じて明らかになったように、情報セキュリティ対策は、単なる技術的な対応だけでは不十分です。多くの問題が、運用上の不備や体制面での遅れに起因しており、より堅牢な防御体制を構築するには、技術・運用・体制の三つを一体として捉え、相互に補完し合う設計が必要です。この章では、それぞれの観点から必要な対策を具体的に考察します。

技術面の対策

技術的な防御は、セキュリティ対策の土台として最も直接的で重要な役割を担います。まず、サーバーやネットワーク機器、ミドルウェア、そして外部製品などにおいて、既知の脆弱性に対するパッチ適用を継続的かつ計画的に行う体制が求められます。特に外部製のライブラリやアプライアンス製品は、利用者が直接コードに手を加えられないため、脆弱性情報(CVE、JVNなど)の監視と、サプライヤーからのアラートの即時対応が重要です。

また、未知の攻撃への対応として、振る舞い検知型のセキュリティ機構(EDRやXDR)の導入が有効です。これにより、従来型のウイルス定義ベースでは見逃されていた不審なプロセスやネットワーク通信をリアルタイムで検知・遮断することが可能になります。さらに、WAF(Web Application Firewall)の導入によって、SQLインジェクションやクロスサイトスクリプティングなどのWeb系攻撃への入口防御を強化することも基本的な備えとして有効です。

データ保護という点では、TLS(HTTPS)による通信の暗号化と、データベースに保存される個人情報の暗号化が求められます。特に、管理者や開発者でも復号できない形式での保存(アプリケーションレベルでの暗号化)を導入すれば、万一内部からのアクセスがあっても、データがすぐには読み取れないという抑止効果を持ちます。暗号鍵については、KMS(Key Management Service)を利用し、鍵の分離・アクセス制御を行うことが推奨されます。

運用面の対策

運用上の不備による情報漏洩、特に誤送信設定ミスは、技術的な対策だけでは完全に防ぐことができません。これらは人の操作や確認工程に起因するため、ミスを前提とした業務設計が不可欠です。

たとえば、メール誤送信対策として、送信前に宛先の確認を促す送信ポップアップ機能や、社外宛メールの上長承認機能、誤送信防止プラグインの導入が挙げられます。Web公開設定ミスに関しても、インフラやクラウドの構成変更があった際に自動スキャンを行い、パブリック設定になっていないかを検知するツール(例:AWS Config、Google Cloud Security Command Center)を活用することで、人的な設定漏れを検出できます。

また、ログ管理とアクセス権限の見直しも重要です。すべてのアクセスにログが残るよう設計し、特権アカウントの利用は最小限に限定すること。加えて、業務用データと個人情報の保存領域を明確に分離し、操作ログと監査ログを定期的にレビューすることで、内部不正や不要なアクセスを早期に検出できます。

運用の強化はまた、委託先業者の管理にも関わります。情報システムの一部や運用業務を外部に委託している場合、委託元は業者のセキュリティ管理状況について十分に把握し、必要に応じて監査や改善要請を行う責任があります。契約時点で「個人情報を取り扱う範囲」「漏洩発生時の責任」「監査義務」などを明確化しておくことが、事後の対応力を高めることにつながります。

体制面の対策

技術と運用を適切に機能させるためには、それを支える組織体制の整備が欠かせません。特に、**インシデント対応体制(CSIRT:Computer Security Incident Response Team)**の整備は、多くの企業で今後ますます重要性を増すと考えられます。インシデントの発生から初動、影響範囲の特定、再発防止策の策定、関係者への報告といった一連のプロセスを、標準化されたフローとして事前に準備しておく必要があります。

情報漏洩のような重大な問題が発生した際、どの部署が主導するのか、法務・広報との連携はどうするのか、顧客や行政機関への通知タイミングはどう定めるのか。これらを含めた事前準備と定期的な訓練がなければ、実際の発生時に組織が混乱し、対応が遅れるリスクが高くなります。

また、社内教育の継続的な実施も体制強化の一部です。情報セキュリティポリシーやガイドラインがあっても、それが日常業務に活用されていなければ意味がありません。eラーニングやワークショップ形式の教育機会を定期的に設け、過去の実例を使って理解を深める機会を設計することで、社員一人ひとりが自分の操作や判断がセキュリティにどう関わるかを自覚することができます。


このように、技術・運用・体制の三つの軸を個別に整備するだけでなく、それらを有機的に結びつけることが、現代におけるセキュリティ対策の基本といえます。脆弱性への即応、ヒューマンエラーの抑制、インシデント対応体制の整備——いずれも単独では機能せず、相互に支え合う形でのみ、実効性を発揮します。

次章では、こうした対策の導入を検討する際に、どこから着手すればよいか、どのように優先順位をつけて組織に適用していくかについて考察していきます。

まとめ

2025年に公表された一連の個人情報漏洩に関する報告は、技術的な脆弱性の悪用、業務上の不備、設定ミス、さらには外部サービスや委託先との連携に起因するものまで多岐にわたりました。特にIIJのセキュアMXサービスに関する不正アクセス事例は、その発覚までに長期間を要し、影響が大規模かつ多方面に及んだ点で、注目を集める事例となりました。これは、特定の企業だけでなく、クラウド型のサービスを利用するあらゆる組織にとって、他人事では済まされない現実を突きつけるものです。

こうした情報漏洩の要因を振り返ると、「最新のセキュリティ機器を導入していれば安心」という考え方が十分ではないことが分かります。むしろ、技術・体制・運用の三要素がそれぞれの役割を果たしながら、全体として一貫した方針に基づいて機能しているかどうかが問われています。たとえば、技術的に安全な仕組みが整っていても、設定ミスひとつで外部に情報が公開されてしまうことは現実に起こりうるリスクです。また、インシデント発生時に初動体制が整っていなければ、被害の拡大や社会的な信用失墜を招く恐れもあります。

特に注目すべきは、人間の判断や操作に起因する情報漏洩が依然として多いという点です。誤送信や誤設定、アクセス制御の見落としといったヒューマンエラーは、最新のセキュリティツールでは防ぎきれない領域であり、業務設計の中にリスクを想定したプロセスをあらかじめ組み込むことが重要です。システムに頼るのではなく、「人が失敗し得る」ことを前提に、二重確認や自動チェックといった仕組みを自然に埋め込んでいく必要があります。

一方で、技術面の対応についても過信は禁物です。脆弱性の早期発見・修正、通信と保存の両方における暗号化、侵入検知とログ監視の強化など、技術は「基盤」として支える存在であって、それ単体では組織の情報を守り切ることはできません。定期的なレビューと改善、そして自社で管理できない部分に対する透明性の確保(たとえばクラウドサービスのセキュリティステータスの可視化など)が、技術を「機能するもの」として活かすために不可欠です。

さらに、組織全体としてのセキュリティリテラシー向上も欠かせません。社内教育やシミュレーション訓練、CSIRTによる即応体制、委託先との連携強化など、一つの問題を部門任せにせず、横断的な対応ができる文化を育てていくことが、中長期的な信頼性の向上につながります。

今後の情報社会において、情報漏洩を完全にゼロにすることは現実的ではないかもしれません。しかし、被害の発生を減らし、起きた際の影響を最小限に抑える努力を積み重ねることは、すべての組織にとって避けられない責任です。本稿で紹介した考察や対策が、今後の情報セキュリティの見直しや施策立案の一助となれば幸いです。

参考文献

モバイルバージョンを終了