TSMCを揺るがす二つの課題──2nm機密漏洩と中国企業による人材引き抜き

TSMCを揺るがす二つの課題──2nm機密漏洩と中国企業による人材引き抜き
目次

はじめに

世界最先端の半導体製造を担う台湾積体電路製造(TSMC)は、スマートフォンやサーバー、AI向けプロセッサなど、現代のあらゆる電子機器の根幹を支える存在です。特に、同社が開発を進めている2nmプロセスは、性能向上と省電力化を同時に実現する次世代の鍵となる技術として、各国や企業から熱い視線が注がれています。

半導体産業は、単なる製造業ではなく、国家の経済競争力や安全保障にも直結する戦略的産業です。そのため、技術や人材の流出は国際関係や経済安全保障において深刻なリスクとなり得ます。

2025年8月現在、TSMCはこうした背景の中で二つの大きな問題に直面しています。ひとつは、量産間近の2nmプロセスに関する機密情報の漏洩事件。もうひとつは、台湾政府が警戒を強める中国企業による人材の違法引き抜き疑惑です。これらは企業の競争力を脅かすだけでなく、国家間の技術覇権争いにも影響し得る重大な事案であり、台湾国内だけでなく、日本や米国を含む国際社会からも注目されています。

[TSMC]
   │
   ├── ① 2nmプロセス機密漏洩事件
   │       ├─ 関与疑惑:現・元社員3〜6名
   │       ├─ 持ち出し内容:工程統合に関する数百枚の技術写真
   │       └─ 報道で名前が挙がった企業:
   │            • 東京エレクトロン(関与否定、捜査協力)
   │            • Rapidus(コメントなし)
   │
   └── ② 中国企業による人材引き抜き疑惑
           ├─ 対象:中国本土企業16社
           ├─ 捜査:300名超聴取、70か所捜索
           ├─ 狙い:台湾半導体人材の確保
           └─ 影響:技術ノウハウ(暗黙知)の海外流出リスク

1. 2nmプロセス機密漏洩事件

事件の概要

2025年8月初旬、TSMCは社内の監視システムによって不審なアクセスとデータ取得の痕跡を検知しました。調査の結果、量産を目前に控えた2nmプロセスに関する機密資料が、社内外に不正に持ち出された疑いが浮上。台湾高等検察署は直ちに捜査を開始し、現職および元社員を含む3〜6名が拘束または取り調べを受けています。

持ち出されたとされるデータは、Gate-All-Around(GAA)構造を採用した2nm製造プロセスの工程統合に関する数百枚の技術写真で、これらは設計仕様書や製造条件と組み合わせることで、量産工程の再現や他社プロセスへの応用が可能になる可能性が指摘されています。台湾政府はこの技術を「国家核心技術」として扱っており、流出は国家安全保障に直結する重大事案と位置付けています。

流出先として報じられた企業

報道では、日本の東京エレクトロン(TEL)とRapidusの名前が挙がっています。東京エレクトロンは、台湾子会社の社員が事件に関与していた事実を認め、その社員を解雇しました。一方で「第三者に情報が渡った証拠は確認されていない」とし、台湾当局の捜査に全面協力する姿勢を示しています。

Rapidusについては、現時点で事件に関する公式声明を出しておらず、関与について肯定も否定もしていません。複数の海外メディアは、RapidusがIBMからライセンス供与を受けた2nmプロセスを開発中であることから、技術的動機の可能性を指摘していますが、法的な関与は確定していません。

技術的背景

TSMCの2nmプロセスは、従来のFinFET構造を超えるGAA構造を採用しており、トランジスタの電流制御性を高めることで消費電力の削減と性能の向上を同時に実現できます。この技術はスマートフォンからスーパーコンピュータ、AI用アクセラレータまで幅広い用途に影響を与えるため、各国が開発・量産競争を繰り広げている分野です。TSMCは熊本にも新工場を建設し、日本市場とも深く関わっているだけに、本件は日台間の半導体協力の信頼関係にも影響を及ぼしかねません。

2. 中国企業による人材引き抜き疑惑

台湾当局の捜査

2025年8月上旬、台湾法務部調査局は中国本土企業16社が台湾の半導体技術者を違法に引き抜いていた疑いで、過去数年間にわたる大規模な捜査を実施しました。捜査は半導体だけでなく、AI、通信、精密製造分野にも及び、延べ300名以上の事情聴取と70か所以上の施設・事務所の家宅捜索が行われています。

台湾法では、中国本土企業が台湾国内で直接採用活動を行うことは原則禁止されており、関連する人材スカウト行為や契約仲介は経済スパイ行為として刑事罰の対象となります。今回の捜査は、違法なリクルート活動が組織的かつ継続的に行われていた可能性を示唆するもので、当局は国家安全法や雇用関連法に基づく立件を視野に入れています。

背景と狙い

中国は「半導体の国産化」を国家戦略として掲げ、製造技術や設計能力の強化を急いでいます。しかし先端製造では依然としてTSMCやSamsungなど海外勢に依存しており、国内での技術開発を加速するために海外人材の獲得を重視しています。特に台湾は地理的にも近く、言語面や文化面の障壁が低いため、優秀なエンジニアや管理職を引き抜く格好の対象となっています。

今回の捜査対象となった16社の多くは、中国国内で半導体製造、材料開発、EDAソフトウェアなどを手掛けており、その中には過去に台湾人技術者を採用して問題視された企業も含まれています。人材を通じて、製造ノウハウや暗黙知、さらには顧客との取引情報までもが流出するリスクがあるため、台湾当局は警戒を強めています。

TSMCへの影響

TSMCは高度な製造技術を社内教育やプロジェクト経験を通じて社員に蓄積しており、人材そのものが知的財産とも言えます。熟練したエンジニアが中国企業に移籍すれば、機密資料を直接持ち出さなくとも、生産工程や品質管理、歩留まり改善のノウハウが外部に伝わる恐れがあります。特に2nmや3nmといった先端ノードは、わずかな工程の最適化や条件設定が性能やコストに大きく影響するため、技術者流出は深刻な競争力低下につながりかねません。

台湾当局は、今回の引き抜き疑惑を単なる雇用問題ではなく、台湾半導体産業全体の競争優位を脅かす安全保障上の脅威と位置づけており、企業と連携して違法行為の摘発を強化しています。

3. 二つの問題の共通点と影響

今回の2nmプロセス機密漏洩事件中国企業による人材引き抜き疑惑は、一見すると別々の事案のように見えます。しかし、どちらも根底には台湾の半導体産業が持つ世界的な競争力を削ぐ可能性がある技術流出リスクという共通点があります。

共通点:標的は「高度技術と人材」

  • いずれの事案も狙いは、高度な半導体製造技術と、それを扱える熟練人材です。
  • 機密漏洩では技術資料という形で、引き抜きでは人材を通じた「暗黙知」の移転という形で、TSMCの強みを外部に持ち出すルートが問題視されています。
  • これらは技術的な優位性だけでなく、生産性や歩留まりの差を生み出す要因でもあるため、競合企業や国家にとって大きな価値を持ちます。

国家安全保障への影響

  • 台湾政府は、半導体を「シリコンシールド」として国家安全保障の要に位置づけています。
  • 先端ノード技術や人材の流出は、台湾経済の基盤を弱体化させるだけでなく、米中対立など国際的なパワーバランスにも影響を与え得るため、企業単独の問題ではなく国家レベルの対応が求められます。
  • 特に今回の漏洩事件では、日本企業の名前が報道に登場しており、日台間の技術協力関係にも影響する可能性があります。

産業構造への波及

  • 先端半導体の供給は、スマートフォン、AIサーバー、自動運転システム、軍事用途など、広範な産業に直結しています。
  • 仮にTSMCの技術優位性が損なわれれば、サプライチェーン全体に波及し、世界的な半導体供給網の再編や混乱を招く可能性があります。
  • 中国企業による人材引き抜きは長期的に競合勢力の技術力を底上げする一方、機密漏洩のような突発的事件は短期的に市場や株価に影響を与える可能性があり、両者が重なることで短期・長期のリスクが同時進行する危険性があります。

まとめ

今回取り上げた2nmプロセス機密漏洩事件中国企業による人材引き抜き疑惑は、TSMCという一企業の枠を超え、台湾の半導体産業全体、さらには国際的な技術競争の構図に直結する重大な問題です。

2nmプロセスは世界でも限られた企業しか手掛けられない最先端技術であり、その情報が外部に流出することは、短期的なビジネス上の損失だけでなく、長期的な技術優位性の喪失や、サプライチェーン全体の安定性にも影響を及ぼします。一方、人材引き抜きは、資料やデータを直接持ち出さなくても、暗黙知や現場ノウハウといった再現困難な知識を流出させる要因となり、競合他社や他国の技術開発を加速させる可能性があります。

また今回の事案は、台湾国内だけの問題にとどまらず、日本企業の名前が報道で挙がったことで、日台間の半導体協力や信頼関係にも一定の影響を与える可能性があります。日本政府は現時点で本件への公式コメントを出していませんが、今後の調査結果や国際的な動向次第では、産業政策や企業間協力の在り方に何らかの調整が加えられることも考えられます。

これら二つの問題に共通して言えるのは、標的が「技術」と「人材」という、企業競争力の根幹に関わる資産であるという点です。いずれも台湾政府が国家安全保障の観点から厳しく対応しており、摘発や再発防止策の強化が進められていますが、国際的な技術覇権争いが激化する中で、同様の事案が再び発生する可能性は否定できません。

現段階では捜査が進行中であり、事実関係の全容や影響の範囲はまだ確定していません。東京エレクトロンは関与を否定し捜査協力を続け、Rapidusはコメントを控えています。事件の結末がどのような形になるにせよ、今後の展開は半導体産業のみならず、国際的な技術協力や安全保障戦略にとって重要な示唆を与えることになるでしょう。

したがって、これらの動向については今後も継続的に注視し、事実に基づいた冷静な評価と議論を続けることが不可欠です。

参考文献

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