Appleは2025年10月、女性向け交際情報共有アプリ「Tea」およびその関連アプリ「TeaOnHer」をApp Storeから削除しました。表向きの理由は明示されていませんが、複数の報道によれば、コンテンツモデレーションの不備や個人情報保護体制の欠如、さらにユーザーからの苦情増加が背景にあるとされています。これらのアプリは、異性との交際体験を匿名で共有できるという特徴から短期間で急速に利用者を拡大させましたが、その匿名性が裏目に出る形でプライバシー侵害や誹謗中傷の温床となり、社会的な議論を招いていました。
さらに、2025年7月には同アプリから約7万2千件におよぶ画像データが流出したことが明らかとなり、個人の身元確認書類やセルフィーなどのセンシティブ情報が含まれていたことが問題視されました。この事件を契機として、米国内では同アプリの運営企業を相手取った複数の集団訴訟が提起され、企業責任やデータ保護体制の不備が問われています。
本稿では、Appleによる削除の経緯と「Tea」アプリを巡る法的・社会的問題を整理し、ユーザー生成コンテンツ型サービスが直面するガバナンス上の課題について考察します。
「Tea」アプリとは
「Tea」は、女性が交際経験や相手男性に関する情報を匿名で共有できることを特徴とするマッチング関連アプリです。利用者は、過去に交際した、あるいは現在関わりのある男性について、性格や態度、交際中の印象などを投稿し、他の利用者と情報を交換することができました。アプリの目的は「女性同士が安全に情報を共有し、より良い人間関係を築く手助けをする」というものでしたが、その匿名性がサービスの成長と同時に重大なリスクを内包する結果となりました。
リリース後、「Tea」は短期間で人気を博し、特に北米の若年層女性の間で急速にユーザー数を拡大しました。SNS上でも「男性版口コミサイト」として話題になり、恋愛や交際における“安全な情報源”として注目を集めました。しかし、匿名投稿機能を悪用した誤情報の拡散や個人攻撃が頻発し、モデレーションが追いつかない状況が指摘されていました。こうした問題は、ユーザー保護と表現の自由のバランスをいかに取るかという難題を浮き彫りにしました。
決定的な転機となったのは、2025年7月に発生した大規模データ流出事件です。報道によれば、同アプリのサーバーから約7万2千件におよぶ画像が外部に流出し、その中には身分証明書の写真やセルフィー、メッセージ履歴など、極めて機微な情報が含まれていました。運営会社であるTea Dating Advice, Inc.はこの事態を認め、外部のフォレンジック調査を実施するとともに、アプリ内のダイレクトメッセージ機能を一時停止する措置を取りました。
この事件を機に、ユーザーやメディアからは「安全を謳うアプリが最も危険だった」との批判が相次ぎました。匿名性と情報共有を軸としたサービス設計が、結果としてプライバシー侵害と誹謗中傷の温床を生んでしまったことが、社会的・法的な議論を呼ぶ大きな要因となったのです。現在、「Tea」はその理念と運営実態の乖離が問われる象徴的な事例として、アプリ業界全体に影響を与えています。
Appleによる削除の理由
Appleが「Tea」および「TeaOnHer」をApp Storeから削除した理由について、公式の詳細な説明は公表されていません。しかし、複数の米国メディア報道や関係者の証言を総合すると、主な要因はプラットフォームポリシー違反と安全性への懸念であるとみられます。
まず、最も深刻な問題とされたのはコンテンツモデレーション体制の不備です。これらのアプリは、ユーザーが特定の人物に関する体験や評価を匿名で投稿できる仕組みを採用していましたが、投稿内容の審査が十分でなく、誹謗中傷やプライバシー侵害に該当する内容が放置されていたことが確認されています。AppleのApp Store審査ガイドラインでは、利用者の安全を損なう可能性のあるコンテンツを適切に管理できないアプリは配信を認めないと明記されています。この点において、Teaはガイドラインに抵触したと判断されたと考えられます。
次に、個人情報保護およびプライバシーへの懸念も削除の決定を後押ししたとみられます。2025年7月に発生したデータ流出事件では、ユーザーの身分証画像やメッセージ履歴が外部に漏えいしたことが報告されました。これに対してAppleは、個人情報を安全に扱うことを開発者に義務づけており、ユーザーデータの管理不備が続くアプリに対しては配信停止を含む措置を講じる方針を取っています。
さらに、利用者からの苦情の急増も削除判断に影響したとされています。米国内では「匿名投稿が名誉毀損を助長している」「通報しても削除されない」といった報告が相次ぎ、アプリの社会的評価が急速に低下しました。Appleとしても、こうした状況を放置すれば自社プラットフォームの信頼性に影響を及ぼすと判断した可能性があります。
以上の点から、Appleの削除措置は単一の事象に基づくものではなく、安全性・プライバシー・ガイドライン遵守という複数の観点を踏まえた包括的な判断であったと考えられます。
集団訴訟の現状
「Tea」アプリを運営する米国企業 Tea Dating Advice, Inc. は、2025年7月の大規模データ流出を受け、米国内で複数の集団訴訟(クラスアクション)を提起されています。これらの訴訟は、主に個人情報保護義務違反および生体情報の不正取扱いをめぐるものです。
最初の訴訟は2025年7月末、カリフォルニア州北部地区連邦裁判所にて2件が提起され、その後、イリノイ州やニューヨーク州でも同様の訴えが相次ぎました。特にイリノイ州では、「Honeycutt et al. v. Tea Dating Advice, Inc.」という訴訟が8月6日付で提起され、バイオメトリック情報保護法(Biometric Information Privacy Act、以下 BIPA) に違反した疑いが焦点となっています。BIPAは、指紋・顔認識・ID写真などの生体情報を本人の明示的同意なしに収集・保存・共有することを禁じており、違反が認められた場合は1件につき最大5,000ドルの法定損害賠償が科される可能性があります。
訴状によれば、Teaは本人確認や不正防止の名目で身分証画像やセルフィーを収集していましたが、利用者に対して十分な説明と同意手続きを行っていなかったとされています。また、流出した画像の一部にはこれらの生体データが含まれていたと報告されており、原告側は「企業の安全管理義務違反」と「不正なデータ共有」を主張しています。
一方で、運営会社の利用規約には「紛争は個別に解決され、集団訴訟として提起できない」とするクラスアクション放棄条項が含まれています。現在、裁判所ではこの条項の有効性をめぐって審理が進行中であり、今後の訴訟の方向性を左右する重要な争点となっています。もし無効と判断されれば、原告団は数万人規模の集団訴訟として再統合される可能性があります。
報道によると、これまでに少なくとも10件前後のクラスアクションが全米各地で提起されており、一部は統合訴訟(MDL: Multi-District Litigation)として処理される見通しです。現時点で和解や判決には至っていませんが、同社の財務的・社会的影響はすでに深刻とみられています。
これらの訴訟は、単なる一企業の不祥事にとどまらず、個人情報を扱うプラットフォームが負うべき説明責任や、AI・マッチング技術とプライバシー保護の両立といった根源的課題を浮き彫りにしています。今後の裁判の進展は、アプリ産業全体の法的基盤に影響を及ぼす可能性が高いと考えられます。
現在のTeaの状況
2025年10月時点で、「Tea」アプリを取り巻く状況は大きく変化しています。AppleによるApp Storeからの削除後、iOS版は配信停止のままとなっており、再公開の見通しは立っていません。一方、Android版についてはGoogle Play上で依然としてダウンロードが可能であり、サービス自体は継続運営されています。ただし、利用者数はピーク時から大幅に減少しており、コミュニティの活発さも失われつつあります。
運営会社である Tea Dating Advice, Inc. は、7月のデータ流出事件後に外部のセキュリティ企業によるフォレンジック調査を実施したことを公表しました。その結果を踏まえ、同社はアプリ内のダイレクトメッセージ(DM)機能を停止し、画像データの保存期間を短縮するなどの対策を導入しています。また、今後は本人確認プロセスの再設計とデータ暗号化の強化を進める方針を示しています。公式サイト上では「ユーザーの信頼回復と安全性の確保を最優先にする」との声明が掲載されており、一定の危機対応姿勢が見られます。
しかしながら、社会的評価は依然として厳しい状況にあります。データ流出の影響で多くの利用者がアカウント削除や退会を選択し、SNS上でも「Teaの再利用はリスクが高い」とする声が多数を占めています。さらに、複数の訴訟が継続中であることから、企業としての信頼性や資金繰りへの影響も懸念されています。アプリの開発・保守チームも縮小されていると報じられており、事業継続性そのものが問われる段階にあります。
現在のTeaは、名目上はサービスを維持しているものの、実質的には事業再建と法的対応に追われる過渡期にあるといえます。アプリの理念であった「女性が安全に情報を共有できる場」は、プライバシー保護と社会的信頼を欠いたことで失われつつあり、今後の存続には抜本的なガバナンス改革と透明性の確保が不可欠です。
今回の事案が示す課題
今回の「Tea」アプリを巡る一連の事案は、ユーザー生成コンテンツ(UGC)型サービスが抱える構造的なリスクを改めて浮き彫りにしました。特に、匿名投稿と個人情報管理の両立という課題は、倫理・法制度・技術の三つの側面から見直しが求められています。
第一に、モデレーション体制の限界です。Teaのように利用者が自由に人物評価や体験談を投稿できる仕組みでは、投稿内容の真偽や表現の適切性を運営側が即時に判断することが極めて困難です。機械的なフィルタリングだけでは誤検知や見逃しが発生し、人手による監視にも膨大なリソースを要します。結果として、誹謗中傷や虚偽情報が拡散するリスクが常に存在し、プラットフォーム責任の境界をどのように設定するかという問題に直面します。
第二に、個人情報・生体データの取扱いに関する法的整備の遅れです。Teaが訴訟の対象となっているBIPA(Biometric Information Privacy Act)は米国でも厳格な部類に入る州法ですが、他州や他国では同様の明確な基準が十分に整備されていません。AIやマッチングサービスの高度化に伴い、本人確認やレコメンド精度の向上を目的として生体情報を活用するケースは今後さらに増えると予想されます。そのため、事業者には法令遵守だけでなく、情報収集の目的・保存期間・第三者提供の範囲を明確に説明する「透明性の原則」が求められます。
第三に、アプリストアと事業者のガバナンス関係です。Appleが今回の削除を通じて示したように、プラットフォーム運営者は単なる配信チャネルではなく、アプリの品質・安全性を保証する主体としての役割を強めています。一方で、過度な規制はイノベーションを阻害する懸念もあり、自由な表現と安全確保のバランスをいかに取るかが今後の課題となります。
本件は、技術的な欠陥というよりも、社会的責任と倫理設計の不備が引き起こした問題といえます。ユーザーが安心して利用できるオンライン空間を維持するためには、法制度・技術・運営体制の三者が相互に補完し合うガバナンスの確立が不可欠です。今回のTeaの事例は、その重要性を強く示す警鐘となりました。
おわりに
「Tea」アプリの削除およびその後の訴訟問題は、デジタル社会における安全性と表現の自由のバランスを再考させる事例となりました。匿名性を前提とする情報共有サービスは、利用者に安心感と自由度を与える一方で、適切な管理体制を欠けば、個人の尊厳やプライバシーを容易に損なう危険を孕んでいます。特に、個人情報や生体データといったセンシティブな情報を扱う場合、技術的安全性のみならず、法的・倫理的責任を明確に果たすことが求められます。
また、今回の対応で示されたように、アプリストアを運営する企業もまた、単なる配信プラットフォームにとどまらず、ユーザー保護と社会的信頼を守る「監督的存在」としての役割を強めています。アプリ開発者やサービス提供者は、プラットフォーム規約の遵守を形式的な要件と捉えるのではなく、ユーザー安全と透明性を中心とした設計思想へと転換する必要があります。
本件は、企業のガバナンス、利用者のリテラシー、そして法制度の三者が連携して初めて、持続可能なデジタル空間が実現できることを示しています。Teaの事例を単なる失敗として終わらせず、同様のリスクを回避するための教訓として社会全体で共有することが、次世代のプラットフォーム運営における責務といえるでしょう。
参考文献
- Women’s dating app Tea reports 72,000 images stolen in security breach
https://www.reuters.com/sustainability/boards-policy-regulation/womens-dating-app-tea-reports-72000-images-stolen-security-breach-2025-07-26/ - Apple confirms it pulled controversial dating apps Tea and TeaOnHer from the App Store
https://techcrunch.com/2025/10/22/apple-confirms-it-pulled-controversial-dating-apps-tea-and-teaonher-from-the-app-store/ - Apple Removes Tea Dating Apps Over Privacy Violations and User Complaints
https://www.macrumors.com/2025/10/22/apple-removes-tea-dating-apps/ - The Tea Dating App Breach and the Quest for Safer Online Platforms
https://techpolicy.press/the-tea-dating-app-breach-and-the-quest-for-safer-online-platforms - Apple Removes Women Dating Safety App from the App Store
https://www.404media.co/women-dating-safety-app-tea-delisted-from-apple-app-store/ - Apple is cracking down on those viral ‘Tea’ apps, citing persistent privacy concerns
https://www.businessinsider.com/app-store-remove-viral-tea-dating-apps-over-privacy-violations-2025-10
