はじめに
2025年7月26日から28日にかけて、中国・上海で開催された「世界AI会議(World Artificial Intelligence Conference、以下WAIC)2025」。
このイベントは、AI分野における国際的な技術・政策・産業の最前線が一堂に会する、アジア最大級のテクノロジーカンファレンスの一つです。
今回のWAICは、開催規模・参加企業・発表製品数ともに過去最大を更新し、出展企業は800社超、展示されたAI技術・製品は3,000点以上、世界初公開は100点を突破するなど、まさに“AIの総合博覧会”とも呼べる盛況ぶりを見せました。
展示は「大型言語モデル(LLM)」「知能ロボット」「スマート端末」「産業用AI」「都市インフラとの融合」「スタートアップ支援」など多岐にわたり、AI技術が私たちの生活・社会・産業のあらゆる場面に根付こうとしていることを如実に物語っていました。
また、単なる展示会という枠を超え、政策対話・技術連携・都市体験・商談機会などが複合的に交錯する「リアルと実装」を前提としたイベント構成も印象的で、AIがもはや未来技術ではなく、“社会の標準装備”になりつつあることを強く実感させるものでした。
この記事では、そんなWAIC2025の注目トピックを現地の展示内容をもとに振り返りながら、「AIは今どこまで来ていて、どこへ向かうのか」を探っていきます。
コア技術:LLMとAIチップの最前線
WAIC2025の中心テーマの一つが、大型言語モデル(LLM)の進化と、それを支えるAI計算基盤(AIチップ/インフラ)でした。世界中の主要テック企業が、独自のLLMや生成AI技術を発表し、モデルの性能・効率・汎用性でしのぎを削る様子は、まさに「次世代知能の覇権争い」を体現していました。
今回、40以上のLLMが初公開され、Huawei、Alibaba、Baidu、iFlytek、SenseTimeといった中国勢に加え、OpenAI、Google DeepMind、Anthropicなど欧米勢のコンセプト展示も見られ、グローバル規模での“モデル戦争”がいよいよ本格化していることを感じさせました。
中でも注目を集めたのは、Huaweiが初披露した「CloudMatrix 384」というAI計算システムです。このシステムは、同社が自社開発した昇騰プロセッサ(Ascend AIチップ)を384ユニット搭載し、NVIDIAの次世代チップ「GB200」すら凌ぐとされる性能を謳っています。さらに、消費電力当たりの演算性能(効率性)においても競争力があり、米中のAIインフラ競争がテクノロジー面で本格化していることを強く印象付けました。
また、AlibabaやiFlytekなどは、自社のLLMをスマートオフィス、教育、ヘルスケアなど用途別に最適化したバリエーション展開で勝負を仕掛けており、「1モデルですべてを賄う」のではなく、ニーズに応じた専門LLMの時代が近づいていることを予感させます。
もうひとつのトレンドは、“軽量化とエッジ最適化”です。特にノートPCやスマート端末に直接LLMを搭載する流れが強まり、Qualcomm、MediaTek、Huaweiなどの展示では「オンデバイス生成AI」を実現するためのチップとモデルの両面での最適化技術が紹介されていました。これにより、プライバシーを確保しつつ、クラウドに頼らずリアルタイム応答が可能な「パーソナルAIアシスタント」の普及が現実味を帯びてきています。
さらに、チップだけでなくメモリ、冷却、分散処理技術、AI用OSや開発プラットフォームの進化も見逃せません。特に中国勢は自国製インフラの自給自足を目指しており、「チップからOSまで国産化を進める」という強い国家的意志が展示全体から感じられました。
WAIC2025を通じて明確になったのは、LLMはもはや「研究室の中の技術」ではなく、インフラやエネルギー、OS、ハードウェアと一体化しながら、現実世界に根付こうとしている段階に来ているということです。単なる“賢い会話”ではなく、「社会のOS」としての役割をAIが担う未来が、いよいよ見えてきました。
ロボット&スマートデバイス:AIの“体”を持つ世界
WAIC2025では、AIが“頭脳”だけでなく“体”を持ち始めていることを如実に感じさせる展示が数多く並びました。特に知能ロボットとスマートデバイスの分野では、技術の進化だけでなく「実用段階」にある製品が次々と披露され、来場者に強烈なインパクトを与えました。
🤖 知能ロボット:細やかさと自律性の融合
展示会場のロボティクスエリアには、60社以上のロボット開発企業が集まり、人型ロボット、産業協働ロボット、サービスロボット、さらには教育・介護・農業用途に特化したロボットまで、用途特化型ロボットの百花繚乱といった様相を呈していました。
特に注目されたのは、DexRobot社が披露した「DexHand021」という精密マニピュレーター。人間の手の筋電を模倣する構造で、ペンを持つ、紙をめくる、指でオセロを裏返すといった高度な指先動作を再現し、「人間の代替」に一歩近づいたリアルな姿を示していました。
また、Unitree RoboticsやAgibotによる四足歩行ロボット、DeepRoboticsの災害対応ロボットは、強い機動力とバランス制御を備えており、将来的に建設・防災・物流などへの導入が期待されています。中には、ボクシングのスパーリングを行うエンタメ型ロボットまで登場し、技術展示の枠を超えて観客を沸かせていました。
📱 スマートデバイス:身につけるAIの時代へ
一方、スマートデバイス領域では、AIを搭載した“身につける端末”が大きな存在感を放っていました。
Xreal、Rokid、Xiaomiなどが出展したスマートグラスは、AR(拡張現実)とAIアシスタント機能を融合し、視線追跡、翻訳、音声対話、ナビゲーション補助などを一体化。従来の“通知を見るだけのデバイス”から、“人間の感覚と拡張的に統合される存在”へと進化しています。
特にXrealは、軽量でスタイリッシュなARグラス「Air 3 Pro」を展示し、AIがユーザーの状況を認識してリアルタイムに情報提供するコンテキスト認識型デバイスの完成度を示しました。また、RokidはスマートグラスとAIアシスタントを組み合わせた“ポータブル秘書”のような新製品を発表し、屋外作業や高齢者支援といった実用分野での応用可能性が注目されました。
さらに、スマートイヤホン、AIペット、AI搭載タブレットなど、多様なAIデバイスが展示されており、「画面を見る」「文字を打つ」といった従来のUXから解放された、“より身体的・直感的なインターフェース”への転換がはっきりと見て取れました。
✨ 技術の融合が「使えるAI」をつくる
WAIC2025のこのセクションが示していたのは、単なるハードウェアの高度化ではありません。重要なのは、AIとセンサー、通信、エネルギー効率、ユーザー体験といった複数要素の“融合”が、ようやく「使えるプロダクト」を生み出し始めているという事実です。
AIが目・耳・手足を持ち、人と一緒に働き、人のそばで生きる──。
SFの世界で語られてきたような「AIと共生する社会」が、現実として手の届く距離に来ていることを、この展示群は強く印象づけました。
ビジネス応用:AIが変える現場と働き方
WAIC2025のもう一つの大きな柱が、ビジネス現場で実際に活用されつつあるAIの展示です。今回の会議では「業務効率化」や「省人化」を超えて、“人とAIが協働する新しい働き方”を提案するプロダクトが目立ちました。
🧠 統合型AIエージェントの進化
中でも注目を集めたのが、中国Kingsoft社が開発した「WPS Lingxi(WPS灵犀)」。これは、文書作成、表計算、画像生成、要約、翻訳、データ分析などを1つのインターフェースに統合したマルチモーダルAIアシスタントです。まさに「AIによるビジネスOS」とも言える存在で、Microsoft CopilotやGoogle WorkspaceのAI機能と並ぶレベルに達してきていることが分かります。
興味深いのは、その導入想定が中小企業や個人事業者をも対象としている点です。複数ツールの使い分けが難しい環境でも、Lingxiのような「オールインワンAI」があれば、文書管理やレポート作成、経理業務まで一貫して効率化できます。
また、Lingxiはユーザーの過去の操作ログや言語スタイルを学習して適応する機能も搭載しており、まるで「パーソナルな秘書」がついているような自然な操作感を実現しています。中国国内ではすでに10万社以上でのパイロット導入が進んでおり、今後は海外展開も視野に入れているとのことです。
🏭 AI×現場=インダストリアル・コパイロット
一方、製造業・物流業界では、AIによる現場支援ツールの本格導入が進んでいます。特に注目されたのが、Siemensが展示した「Industrial Copilot」。これは、製造工程の監視・異常検知・自動最適化をAIがリアルタイムで支援するソリューションで、工場や倉庫などの「物理現場」における意思決定を補完する役割を果たします。
Industrial Copilotは、従来のSCADAやMESといった産業用ITと連携しながらも、自然言語での操作や指示が可能なインターフェースを提供。たとえば、「このラインの稼働率が下がった原因は?」と尋ねると、AIが過去のデータや現在のセンサ情報をもとに回答を生成し、対策案まで提示してくれます。
このように、製造業でも「直感的にAIと対話する」というUXが実現し始めており、技術者のスキルに依存せず、現場全体のナレッジ共有や意思決定のスピード向上に貢献する未来が現実味を帯びてきました。
🚛 現場で走るAI:物流・小売・サービス
さらに、AIが“静的な支援”にとどまらず、“動きながら働く”領域にも進出しています。たとえば、無人輸送ロボット「Q-Tractor P40 Plus」は、倉庫内や物流拠点での搬送業務をAI制御で最適化。障害物回避、経路予測、荷重バランスの自律管理などが可能となり、すでに一部の大型物流施設での導入が始まっています。
また、小売や接客分野では、AIレジ、音声注文端末、対話型インフォメーションロボットなどが数多く展示され、「AIが現場に溶け込む」光景が当たり前になりつつあります。人手不足の深刻な分野で、AIが“補助者”ではなく“同僚”として現場を支える未来がすぐそこまで来ています。
WAIC2025は、AIがオフィス業務や製造現場、サービス業などあらゆる職域に浸透してきていることを改めて実感させる場でした。「業務の効率化」から「業務の再構築」へ。AIが“便利なツール”から“共に働く存在”へと進化していることを、これ以上なく具体的に示していたと言えるでしょう。
スタートアップと連携:次のユニコーンを育てるエコシステム
WAIC2025は、単なる技術展示や大企業による製品発表だけにとどまらず、次世代のAIを担うスタートアップの発掘・育成の場としても機能していました。とりわけ「Future Tech」ゾーンでは、世界中から集まった500以上のスタートアップ企業が一堂に会し、来場者や投資家の注目を集めました。
これらのスタートアップは、いずれも特定分野に特化した課題解決型のAI技術を武器にしており、汎用モデルや巨大プラットフォームとは異なる、「軽くて速くて深い」アプローチで独自の価値を提示していました。
たとえば:
- 農業向けAIソリューションを提供する企業は、ドローン+画像解析で病害虫の早期発見を可能にし、作物ごとの適切な収穫タイミングをリアルタイムで提案。
- 医療スタートアップは、眼底画像から糖尿病性網膜症を高精度で判別するAI診断支援ツールを展示。
- 教育分野では、学生一人ひとりの学習履歴と理解度をもとに教材を自動カスタマイズするAI個別指導ツールが紹介されていました。
- リーガルテック系では、AIが契約書を読解・修正案を提案するサービスが複数展示され、法務の効率化に新たな地平を開きつつあります。
これらの製品群に共通していたのは、“限定された条件下でも確実に役立つAI”を志向しているという点です。巨大な汎用モデルではなく、現場の要請に即したニッチ特化型AIにビジネス機会を見出す姿勢は、従来の「AI=ビッグテック」の構図に風穴をあけるものでした。
またWAICは、単にスタートアップを“紹介する”だけでなく、資金調達や事業提携につながるエコシステム連携の場としても積極的に機能していました。
- 会場内では200件超の出資ニーズ一覧(資金調達案件)が展示され、VCやアクセラレーターが現地で直接ピッチを聞き、即時商談を進めるブースも数多く見られました。
- 100件以上のマッチングイベントやワークショップが実施され、単発の出展で終わらない長期連携の礎が築かれつつあります。
- アジアや中東、アフリカからも多数の若手企業が参加し、グローバルな視点でのAI共創という側面も強まっています。
さらに、今回のWAICではスタートアップ支援の中核として「Universal Links」ゾーンが設置され、投資家・研究者・企業パートナーとの交流がオープンな形で展開されていたのも印象的でした。参加者は単なる“技術プレゼン”ではなく、事業の成長戦略や社会的インパクト、規制対応の構想まで含めて発信しており、「持続可能なAI企業」としての資質が問われている空気感もありました。
このように、WAIC2025はスタートアップにとって単なる出展イベントではなく、グローバル市場でのジャンプアップの足がかりとなる非常に実践的な舞台でした。次のユニコーン企業が、この上海の地から生まれる未来は決して遠くないでしょう。
WAIC City Walk:都市とAIの接点を体感する
WAIC2025の特徴的な取り組みのひとつが、「WAIC City Walk」と呼ばれる都市連動型の展示企画です。これは展示会場にとどまらず、上海市内の複数エリアにAI活用事例を分散配置し、市民や観光客が実際に街を歩きながらAIを体験できる仕組みとなっていました。
この取り組みには、上海市内16区がそれぞれ協力し、各地域ごとに異なるテーマでAI活用の事例を紹介しています。たとえば:
- 虹橋地区では、空港や駅周辺に配置された多言語対応のAI案内ロボットや、リアルタイムに混雑状況を可視化する群集分析AIが設置され、都市インフラとAIの融合が見て取れました。
- 浦東新区では、自律走行型の配送ロボットや、ごみ分別を自動でアシストするスマートステーションなどが設置され、日常生活に密着したAI活用が体感できる構成に。
- 徐匯区では、インタラクティブなAIアートインスタレーションが展示され、来訪者が声や動きに応じて変化する作品を楽しみながら、創造性とテクノロジーの交差点を感じられる場となっていました。
このように、WAIC City Walkは単なる技術ショーではなく、「AIが社会にどう組み込まれ、どのように人の暮らしと接続しているか」を直感的に理解できる機会を提供していました。
特に興味深いのは、これらの展示の多くが「デモンストレーション」に留まらず、実際に行政や地元企業が導入・運用しているリアルな事例であるという点です。これは、都市としてのAI利活用が社会実装のフェーズに入っていることの証左でもあります。
また、訪問者に対してはQRコード付きのマップやミニアプリが配布され、各スポットでAIの技術情報や運用目的を学べるようになっており、教育的な側面も充実していました。学生や家族連れの姿も多く見られ、市民との距離を縮める試みとしても成功していた印象です。
都市レベルでのAIの活用は、インフラ、移動、生活支援、防災、観光など多岐にわたりますが、WAIC City Walkはそうした用途の「見える化」を通じて、AIが社会の中に自然に入りつつある現実を来場者に体験させる構成となっていました。
展示会の外に広がるこの取り組みは、AIと都市の共生のあり方を提示するとともに、“テクノロジーの民主化”のひとつの形とも言えるかもしれません。
おわりに:AIは社会の中で「ともに育てていくもの」へ
WAIC2025の会場で目の当たりにしたのは、AI技術が単なる話題性のある展示や未来の予告ではなく、すでに日常の中に組み込まれ始めているという現実でした。
大型言語モデルがOSやチップと結びつき、ロボットが手足を得て、人々のそばで動き、スマートグラスが知覚の一部となり、文書や契約書をAIが共に作成する──。こうした一連の変化は、AIが「見るもの」から「使うもの」へ、さらに「共に働き、共に考えるもの」へと進化しつつあることを如実に示しています。
また、今回のWAICは単なる“技術の祭典”にとどまらず、人と社会にどうAIを実装していくか、そのプロセスを共有・設計する場でもありました。
スタートアップによる問題解決型AIの挑戦、行政によるスマートシティ展開、現場で働く人々の負担を軽減する業務AI、そして都市生活者が自然に体験できる市民参加型の取り組み──いずれもAIが「上から与えられる」ものではなく、社会全体で使い方を育て、合意形成しながら取り入れていく対象になりつつあることを感じさせるものでした。
もちろん課題は山積しています。モデルの透明性、倫理、雇用、データ主権、エネルギー消費……。しかし、それらをただ懸念として避けるのではなく、現場と研究と制度設計が連動しながら前向きに対話していくことこそが、AIの正しい成長を支える鍵だとWAICは示してくれました。
AIは万能な存在でも、完結した技術でもありません。むしろ私たちの問いや行動によって形を変えていく、“開かれた知性”です。
WAIC2025は、その開かれた知性をどう社会に根づかせ、どう価値ある方向へ育てていくかを模索する場として、非常に意義深いものでした。
そしてこのイベントの余韻が消えた後も、私たちが暮らす社会のあちこちで、気づかないうちに「使い始めているAI」「育て始めているAI」が確かに存在し続けていくでしょう。
参考文献
- WAIC 2025 exhibition draws massive crowds
https://www.citynewsservice.cn/news/WAIC-2025-exhibition-draws-massive-crowds-3k0ev5xn - Huawei shows off AI computing system rivaling Nvidia’s top product
https://www.reuters.com/world/china/huawei-shows-off-ai-computing-system-rival-nvidias-top-product-2025-07-26/ - Shanghai’s WAIC highlights China’s AI strength and international collaborations
https://www.globaltimes.cn/page/202507/1339323.shtml - World AI Conference draws 800+ exhibitors, 100+ first-release products
https://english.shanghai.gov.cn/en-WAICLatest/20250725/8e0f93ebdabb4b3f902c77734ea687b9.html - WAIC 2025 opens in Shanghai with focus on global cooperation
https://english.shanghai.gov.cn/en-Latest-WhatsNew/20250626/fd09cf3295644738a389413386b53975.html - WAIC City Walk connects AI with real-life urban experiences
https://english.shanghai.gov.cn/en-WAICLatest/20250723/8537460627fd4f379154e0e7efa47488.html