2025年8月26日、国連総会は「AIモダリティ決議(A/RES/79/325)」を全会一致で採択しました。この決議は、人工知能(AI)の発展がもたらす機会とリスクの双方に国際社会が対応するための仕組みを整える、極めて重要なステップです。
ここ数年、AIは生成AIをはじめとする技術革新によって急速に進化し、教育・医療・金融・行政など幅広い分野で活用が広がっています。その一方で、偽情報の拡散、差別やバイアスの助長、サイバー攻撃の自動化、著作権侵害など、社会に深刻な影響を与えるリスクも顕在化してきました。こうした状況を受け、各国政府や企業は独自にルール作りを進めてきましたが、技術のグローバル性を踏まえると、国際的な共通ルールや協調枠組みが不可欠であることは明らかです。
今回の「AIモダリティ決議」は、その国際的なAIガバナンス(統治の仕組み)の出発点となるものです。この決議は新たに「独立国際科学パネル」と「グローバル対話」という二つの仕組みを設け、科学的な知見と多国間協議を両輪に据えて、AIの発展を人類全体にとって安全かつ公平な方向へ導くことを狙っています。
ニュースサイト TechPolicy.press も次のように強調しています。
“The UN General Assembly has reached consensus on AI governance modalities, now comes the hard part: implementation.”
(国連総会はAIガバナンスの方式について合意に達した。課題はこれをどう実行するかだ。)
この決議は「最終解決策」ではなく、むしろ「これからの議論の土台」として位置づけられます。しかし、全会一致という形で国際的な合意が得られた点に、世界がAIの未来に対して持つ強い危機感と期待が表れています。
AIガバナンスとは?
AIガバナンスとは、人工知能(AI)の開発・利用・普及に伴うリスクを管理し、社会全体にとって望ましい方向へ導くための枠組みやルールの総称です。
「ガバナンス(governance)」という言葉は本来「統治」「管理」「方向付け」を意味します。AIガバナンスは単なる法規制や監督にとどまらず、倫理的・法的・技術的・社会的な観点を総合的に調整する仕組みを指します。
なぜAIガバナンスが必要なのか
AIは、膨大なデータを分析し、自然言語を生成し、画像や音声を理解するなど、これまで人間にしかできなかった知的活動の一部を代替・補完できるようになりました。教育・医療・金融・行政サービスなど、私たちの生活のあらゆる場面に入り込みつつあります。
しかし同時に、以下のようなリスクが深刻化しています。
- 偏見・差別の助長:学習データに含まれるバイアスがそのままAIの判断に反映される。
- 誤情報や偽情報の拡散:生成AIが大量のフェイクニュースやディープフェイクを生み出す可能性。
- プライバシー侵害:監視社会的な利用や個人データの不適切利用。
- 責任の不明確さ:AIが誤った判断をした場合に誰が責任を取るのかが曖昧。
- 安全保障リスク:サイバー攻撃や自律兵器システムへの悪用。
こうした問題は一国単位では解決が難しく、AIの国際的な流通や企業活動のグローバル性を考えると、各国が協力し、共通のルールや基準を整備する必要があるのです。
ガバナンスの対象領域
AIガバナンスは多岐にわたります。大きく分けると以下の領域が挙げられます。
- 倫理(Ethics)
- 公平性、透明性、差別防止といった価値を尊重する。
- 法制度(Law & Regulation)
- 個人情報保護、知的財産権、責任の所在を明確化する。
- 技術的管理(Technical Governance)
- 説明可能性(Explainable AI)、安全性検証、セキュリティ対策。
- 社会的影響(Social Impact)
- 雇用の変化、教育の在り方、公共サービスへの影響、途上国支援など。
各国・国際機関の取り組み例
- EU:世界初の包括的規制「AI Act(AI規制法)」を2024年に成立させ、安全性やリスク分類に基づく規制を導入。
- OECD:2019年に「AI原則」を採択し、国際的な政策協調の基盤を整備。
- 国連:今回の「AIモダリティ決議」をはじめ、国際的な科学パネルや対話の場を通じた枠組みを模索。
AIガバナンスとは「AIを単に技術的に発展させるだけでなく、その利用が人権を尊重し、公平で安全で、持続可能な社会の実現につながるように方向付ける仕組み」を意味します。今回の決議はまさに、そのための国際的な基盤づくりの一環といえるのです。
決議の内容
今回採択された「AIモダリティ決議(A/RES/79/325)」では、国際社会がAIガバナンスに取り組むための具体的な仕組みが明記されました。特徴的なのは、科学的知見を整理する独立機関と、各国・関係者が集まって議論する対話の場という二つの柱を設けた点です。
1. 独立国際科学パネル(Independent International Scientific Panel on AI)
このパネルは、世界各地から選ばれた最大40名の専門家によって構成されます。研究者、技術者、法律家などが「個人の資格」で参加し、特定の国や企業の利害に縛られない独立性が強調されています。
役割は大きく分けて次の通りです。
- 年次報告書の作成:AIの最新動向、リスク、社会への影響を科学的に整理し、各国政府が参考にできる形でまとめる。
- テーマ別ブリーフ:必要に応じて、例えば「教育分野のAI利用」や「AIと安全保障」といった特定テーマに絞った報告を出す。
- 透明性と公正性:利益相反の開示が義務付けられ、また地域的・性別的なバランスを配慮して構成される。
この仕組みによって、政治や経済の思惑に左右されず、科学的エビデンスに基づいた知見を国際社会に提供することが期待されています。
2. AIガバナンスに関するグローバル対話(Global Dialogue on AI Governance)
一方で、この「対話の場」は国連加盟国に加え、民間企業、学界、市民社会など幅広いステークホルダーが参加できるよう設計されています。AIは技術企業だけでなく市民の生活や人権に直結するため、多様な声を集めることが重視されています。
特徴は以下の通りです。
- 年次開催:年に一度、ニューヨークやジュネーブで開催。科学パネルの報告書を土台に議論が行われる。
- 多層的な議論:政府首脳級のセッションから、専門家によるテーマ別ワークショップまで、複数レベルで意見交換。
- 共通理解の形成:次回以降の議論テーマや優先課題は、各国の合意を経て決められる。
- 途上国の参加支援:経済的に不利な立場にある国々が参加できるよう、渡航費用やリソースの支援が検討されている。
この「グローバル対話」を通じて、各国は自国の政策だけでは解決できない問題(例えばAIによる越境データ利用や国際的なサイバーリスク)について、共同で方針を模索することが可能になります。
モダリティ決議の特徴
「モダリティ(modalities)」という言葉が示すように、この決議は最終的な規制内容を定めたものではなく、「どのように仕組みを作り運営していくか」という方式を定めたものです。
つまり、「AIを国際的に管理するための道筋」をつける段階であり、今後の実務的な議論や具体的規制に向けた準備といえます。
全体像
整理すると、今回の決議は次のような構造を持っています。
- 科学パネル → 専門的・中立的な知見を提供
- グローバル対話 → 各国・関係者が意見交換し、共通理解を形成
- 国連総会 → これらの成果を基に将来のルールや政策に反映
この三層構造によって、科学・政策・実務をつなぐ仕組みが初めて国際的に制度化されたのです。
モダリティとは?
「モダリティ(modalities)」という言葉は、日常会話ではあまり耳にすることがありません。しかし、国連や国際機関の文書ではしばしば使われる用語で、「物事を実施するための方式・手続き・運営方法」を指します。
一般的な意味
英語の modality には「様式」「形式」「手段」といった意味があります。たとえば「学習モダリティ」というと「学習の仕方(オンライン学習・対面授業など)」を表すように、方法やアプローチの違いを示す言葉です。
国連文書における意味
国連では「モダリティ決議(modalities resolution)」という形式で、新しい国際的な仕組みや会議を設立するときの運営ルールや枠組みを決めるのが通例です。
たとえば過去には、気候変動関連の会議(COPなど)や持続可能な開発目標(SDGs)に関する国連プロセスを立ち上げる際にも「モダリティ決議」が採択されてきました。
つまり、モダリティとは「何を議論するか」よりもむしろ「どうやって議論を進めるか」「どのように仕組みを運営するか」を定めるものなのです。
AIモダリティ決議における意味
今回の「AIモダリティ決議(A/RES/79/325)」は、AIに関する国際的なガバナンス体制を築くために、以下の点を方式として定めています。
- どのような新しい組織を作るか:独立国際科学パネルとグローバル対話の設置。
- どのように人材を選ぶか:40名の専門家を地域・性別バランスを考慮して選出。
- どのように運営するか:年次報告書の作成や年1回の会議開催、参加者の範囲など。
- どのように次の議論につなげるか:報告や対話の成果を国連総会や将来の国際協定に反映させる。
言い換えると、この決議はAIに関する「最終的な規制内容」や「禁止事項」を決めたものではありません。むしろ、「AIに関する国際的な話し合いをどういう形で進めるか」というルール作りを行った段階にあたります。
重要なポイント
- モダリティは「枠組み設計」にあたり、まだ「具体的規制」には踏み込んでいない。
- しかし、この設計がなければ科学パネルや対話の場そのものが成立しないため、将来の国際的合意に向けた基礎工事とも言える。
- 全会一致で採択されたことで、世界各国が少なくとも「AIガバナンスに関する話し合いのルールを作る必要性」については合意したことを示す。
「モダリティ」とはAIガバナンスの国際的な議論を進めるための“設計図”や“道筋”を意味する言葉です。今回の決議はその設計図を正式に承認した、という位置づけになります。
意義と課題
意義 ― なぜ重要なのか
今回の「AIモダリティ決議」には、いくつかの大きな意義があります。
- 国際的な合意形成の象徴 決議は投票ではなく「全会一致(コンセンサス)」で採択されました。国際政治の場では、先端技術に関する規制や管理は各国の利害が衝突しやすく、合意が難しい領域です。その中で、少なくとも「AIガバナンスに向けて共通の議論の場を持つ必要がある」という認識が一致したことは、歴史的に重要な前進といえます。
- 科学と政策の橋渡し 独立した科学パネルが定期的に報告を出す仕組みは、エビデンスに基づいた政策形成を可能にします。政治や経済の思惑から距離を置き、客観的なデータや知見に基づいて議論を進めることで、より現実的かつ持続可能なAIの管理が期待できます。
- 多様な声を取り込む枠組み グローバル対話には各国政府だけでなく、企業、市民社会、学界も参加可能です。AIは社会全体に影響を与える技術であるため、専門家だけでなく利用者や市民の視点を反映できることはガバナンスの正当性を高める要素になります。
- 国際的枠組みの基盤形成 この決議自体は規制を設けるものではありませんが、将来の国際協定や法的枠組みにつながる「基礎工事」として機能します。気候変動対策が最初に国際会議の枠組みから始まり、最終的にパリ協定へと結実したように、AIでも同様の流れが期待されます。
課題 ― 何が問題になるのか
同時に、この決議は「第一歩」にすぎず、解決すべき課題も数多く残されています。
- 実効性の欠如 科学パネルの報告やグローバル対話の結論には、法的拘束力がありません。各国がそれをどの程度国内政策に反映するかは不透明であり、「結局は参考意見にとどまるのではないか」という懸念があります。
- リソースと予算の不足 決議文では「既存の国連リソースの範囲内で実施する」とされています。新たな資金や人員を確保できなければ、報告や対話の質が十分に担保されない可能性があります。
- 専門家選定の政治性 科学パネルの専門家は「地域バランス」「性別バランス」を考慮して選出されますが、これは時に専門性とのトレードオフになります。どの国・地域から誰を選ぶのか、政治的な駆け引きが影響するリスクがあります。
- 技術の変化への遅れ AI技術は月単位で進化しています。年1回の報告では動きに追いつけず、パネルの評価が発表時には既に古くなっているという事態も起こり得ます。「スピード感」と「慎重な議論」の両立が大きな課題です。
- 他の枠組みとの競合 すでにEUは「AI法」を成立させており、OECDや各国も独自の原則や規制を整備しています。国連の取り組みがそれらとどう整合するのか、二重規制や権限の重複をどう避けるのかが問われます。
今後の展望
AIモダリティ決議は、「規制そのもの」ではなく「規制を議論する場」を作ったにすぎません。したがって、実際に効果を持つかどうかはこれからの運用次第です。
- 科学パネルがどれだけ信頼性の高い報告を出せるか。
- グローバル対話で各国が率直に意見を交わし、共通の理解を積み重ねられるか。
- その成果を、各国がどの程度国内政策に反映するか。
これらが今後の成否を決める鍵になります。
この決議は「AIガバナンスのための国際的な対話の土台」を作ったという点で非常に大きな意義を持ちます。しかし、拘束力やリソースの不足といった限界も明らかであり、「机上の合意」にとどめず実効性を確保できるかどうかが最大の課題です。
まとめ
今回の「AIモダリティ決議(A/RES/79/325)」は、国連総会が全会一致で採択した歴史的な枠組みです。AIという急速に進化する技術に対して、科学的な知見の集約(科学パネル)と多国間での対話(グローバル対話)という二つの仕組みを制度化した点は、今後の国際協調の基盤になるといえます。
記事を通じて見てきたように、この決議の意義は主に次の四点に集約されます。
- 各国がAIガバナンスの必要性を認め、共通の議論の場を設けることに合意したこと。
- 科学パネルを通じて、政治的利害から独立した専門知見を政策に反映できる仕組みが整ったこと。
- グローバル対話を通じて、多様なステークホルダーが議論に参加する可能性が開かれたこと。
- 将来の国際規範や法的枠組みへと発展するための「基礎工事」が始まったこと。
一方で課題も少なくありません。報告や議論に法的拘束力がなく、各国が実際に政策に反映するかは不透明です。また、予算や人員が十分に確保されなければ、科学パネルの活動は形骸化する恐れがあります。さらに、技術の進化スピードに制度が追いつけるのか、既存のEU規制やOECD原則との整合をどう図るのかも難題です。
こうした点を踏まえると、この決議は「最終回答」ではなく「出発点」と位置づけるのが正確でしょう。むしろ重要なのは、これを契機として各国政府、企業、学界、市民社会がどのように関与し、実効性を持たせていくかです。AIガバナンスは抽象的な概念にとどまらず、教育や医療、行政サービス、さらには日常生活にまで直結するテーマです。
読者である私たちにとっても、これは決して遠い世界の話ではありません。AIが生成する情報をどう信頼するのか、個人データをどのように守るのか、職場でAIをどう使うのか。これらはすべてAIガバナンスの延長線上にある具体的な課題です。
今回の決議は、そうした問いに対して国際社会が「まずは共通の議論の場をつくろう」と動き出したことを示しています。次のステップは、科学パネルからの報告やグローバル対話の成果がどのように蓄積され、実際のルールや規範へと結びついていくかにかかっています。
今後は、次回の「グローバル対話」でどのテーマが優先されるのか、また科学パネルが初めて発表する年次報告書にどのような内容が盛り込まれるのかに注目する必要があります。
参考文献
- A/RES/79/325 – General Assembly – the United Nations
https://docs.un.org/en/A/RES/79/325 - Independent International Scientific Panel on AI
https://www.un.org/independent-international-scientific-panel-ai/en - Understanding the New UN Resolution on AI Governance
https://ippdr.org/understanding-the-new-un-resolution-on-ai-governance/ - UNGA adopts terms of reference for AI Scientific Panel and Global Dialogue on AI Governance
https://dig.watch/updates/un-general-assembly-adopts-terms-of-reference-for-ai-scientific-panel-and-global-dialogue-on-ai-governance - The UN approves the creation of a Scientific Panel and a Global Dialogue on Artificial Intelligence
https://www.exteriores.gob.es/RepresentacionesPermanentes/onu/en/Comunicacion/Noticias/Paginas/Articulos/The-UN-approves-the-creation-of-a-Scientific-Panel-and-a-Global-Dialogue-on-Artificial-Intelligence.aspx - How to Make the UN’s AI Modalities Resolution Count
https://www.global-solutions-initiative.org/publication/how-to-make-the-uns-ai-modalities-resolution-count/ - UN establishes new mechanisms to advance global AI governance
https://www.data4sdgs.org/news/step-right-direction-un-establishes-new-mechanisms-advance-global-ai-governance - UN Launches AI Panel and Dialogue, But Questions Linger on Inclusion and Impact
https://www.techpolicy.press/un-launches-ai-panel-and-dialogue-but-questions-linger-over-inclusion-and-impact/